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天賦の才が周りを見えなくする。



最近少し人と会うようになったり話を聞いたりして、思ったことがある。

それは、人のいまの環境というのは、天賦の部分が大きいのではないということ。

天賦というのは、生まれ持った才能とかそういうこと。


人間、成功には何が必要か。

世の中は、努力が必要だというと思う。

でも、実際は

成功自体も天武に左右されてる場合が多いんじゃないかなと思うようになった。

というのは、子供の頃から神童と言われてきただろう人達と話してるときに思ったんだけど、そもそも話の理解力というものが普通の人と違う。
話始めた段階で、その話の対象を構造的にイメージして理解するので、こちらが話終わらないうちに結論を話しだす。

これはどう考えても努力で習得できるものではない。
そして彼らはその天賦を以て社会的に称賛される職業についていたりする。

彼らにも、きっと努力してきたというエピソードがあるだろうしいろいろ聞いてきた。

ただ、成功のエピソードが語られる時、そこでは、園芸に例えると、いかに花の苗が枯れないように、一生懸命世話してきたか?が語られる、ということだ。

そして、そもそも「種自体が違う」という部分は語られない。

これが語られない理由として、そもそも成功者自身がそれ以外の人生(種が違う状況)を比較できないという理由もあるが、もうひとつ「成功者の自意識」の問題があると思う。



「成功=元からそういう才能があった」では何も自分の関与がないことになる。

「自分は人よりもラッキーだ」より「自分は人よりも努力した人間だ」の方が、
成功の因果に「自己の意識」が関与する分、本人としても腑に落ちるのではないだろうか。





自分についていえば、人生を振り返り、人生の難しい局面を乗り越えた時を振り返ると、
やはり努力だけではなく、じぶんの遺伝的な天賦の力もあったなと思う。

いま就いている仕事のことだってそうだし、このブログだってそう。
ここは私の感受の成果物だが、私の感受性は後天的なものだとは到底思えない。
しかしその感受性のおかげで少しのことでもひーひー言うハメになったりメンヘラ扱いされたり大変だが。
でもいい面もある。


そして生まれ育つ中で親や周りが水を与えその芽を伸ばしてくれたものもあるだろう。

それがいまの私の人生を強く支えてくれている部分もあるかもしれない。
才能が成功にひもづいてないから表面的にわからないから、私も気づかないだけで。



そう考えると、便利な場所で一人暮らしができることも、
なんとか首にならず暮らせることも、
こういう状況にあって、まわりが優しい言葉をかけてくれることも、

私だけの力(いままでの努力)ではないのだなと、今までと全く逆のことを思うようになった。
自分の力を過信し、現在はすべて自分の軌跡の結果であると、傲慢な生き方をしていたなと思うに至った。





でも、少し元気になってくるとまた、その傲慢さが頭を出すんだよね。
自分の力を誇示したくなるんだろうね。

それはつまり
「他者より自分が優れてると思いたい」
って気持ちであり、
「自分が優れてる=人にはいろんな生き方、ものの見方があることの否定」
なんだよね。

確かに、周りからすごい人、頭がいい、あの人が一番凄いって言われる人もいるかもしれない。
そんな事も人生の中であるかもしれない。


でも、自分が優れてる、自分は偉いんだぞって、自分も思ってるようじゃ、まだまだだよね。
周りが見えてないという意味でさ。


世の成功者が「成功は周りのおかげ」っていうのもそういうことなのかなって少し思うよ。

成功すればするほど周りが見えなくなるからね。
そして、周りが見えなくなったら衰退しかないからね。
成功しても周りが見える人だからこそ成功していて、成功しても周りが見えるから「周りのおかげ」っていえる。
そういう話なのかもね。









広瀬ヒロ
Posted by広瀬ヒロ

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