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honjitu no HIROSE

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人は人の人生を知らない

当たり前の話だが。
人は他者と知り合った時、その人がどういう人生を歩んできて、どうして今そうなのかに思いを馳せない
その人のことを、今見ている姿だけで判断しようとする


家族のことがあって以降、私は仕事で60%以上を出さなくなった

出すことも可能だが、結局それをやると家のことで何かあった時、
自分の体力が限界を超えるからだ。
この何かあった時、というのがくせもので、全く予期せぬタイミング、本当に気を抜いた瞬間に起こる。

以前は「(仕事は好きなので)隙あらば、100%を出すタイミングを虎視眈々と狙っていくぞ」という気でやっていたが、
結局、何度か家庭の事件と仕事の修羅場が重なり、体が追いつかず休職し、復帰後も会社を辞めるか真剣に検討するところまで行ったため、次第に「何があっても何がなくても60%以上出さない」という方針に落ち着くことになった。

同じような立場に置かれた50代以上の社員が、私と同じように仕事に力を入れなくなる様を何度か見たこともあったので、これは1人の特異な経験というより、一般的によくあることなのだろう。


さて、私の会社は最近人の出入りが激しい。
パワハラ老害が社員を辞めさせまくり、事業部が焦土と化したためだ。

そしてやってきた新しい社員の対応を、私はとても興味深く思った。

当たり前だが、その人は私の過去を知らないので、私の60%の働きが、私の100%(能力の限界)なのだと認識する。
印象としては、あまり能力がないか、いまいちやる気のない人なのだと思われるだろう。

一方、昔からいる社員は、私が100%働いていた時の様子を知ってるため、その頃の貢献貯金もあるし、また今こういう働きになった抗いようもない理由について、リアルタイムで見ている。
そのため、周りは新入職者の抱くイメージとは全く違った扱いを私にする。

しばらくして、新入職者は、私のイメージと実態の乖離に若干の引っかかりと混乱を抱いたようだが、今さら気づいてももう遅い。

実はこの新入職員。
一部の人の間で仏のように扱われているおじさん(仕事は普通、パッと見本当にさえないし、50過ぎても平社員なので確かにナメられやすい)に対して、若干見下した態度をとったため、入社数日で周りをざわつかせるという前科者になっていたのだ。

皆さん善良なので普通に応対しているるものの、内心うっすらと無礼者として警戒しているように見える。


そんな様子を見ていて思った。
礼儀正しさは、何歳になっても本当に大事だなと。
礼儀正しさは社会のルールなどと言うが、実際は自分の身を守る防護服に近い。
どういう治安の街かも分からない新しい土地に、防護服を着ずに単身乗り込むなんて、やはり普通に考えたら恐ろしい。


自分の目の前にいる初対面の人は、どんな人生を歩んできたかなど分からない。
なぜ今そうなったかなんて、想像以上に分からないものだ。


病院に行った時にも同じことを思った。
言葉も話せない意識もあるのかないのか分からない患者に対して、温かく明るく声をかけている家族がいた。

私にとっては、言葉も話せない意識もあるのかないのか分からない患者に見えるがそうでは無い。
きっとその患者は、もとは、その人も陽気で、温かな人だったのだろう。
だから周りは昔と変わらず、その人に接する。
むしろ普通のことなのだ。
姿が変わったくらいで態度を変える方が難しい。


どんな人でもその人が滔々と歩んできた、積み重ねてきた人生がある。
そして、どんな風貌でも、どんなに姿を変えても変わらないそれを、人は、尊厳と呼ぶ。


どんな人にも自分が知らない尊厳が確かに存在するのだ。

目に見えているものだけで他者を論じようなど、甚だ愚かなことである。





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