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honjitu no HIROSE

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広瀬少女(5)の思いで


私の一番古い記憶は3才になってまもなくの頃。

翌年に入園する幼稚園を探すため、母親の自転車にのせられ
幼稚園巡りをした時のものだ。


行った幼稚園は3園。

ひとつは広大な園庭のある園だったが、遊具もほとんどないその園庭を、ただひたすらに子供が無秩序に駆け回っており、3歳ながら「なんで何も無い場所で走り回れるんだ…」とおののいた。
そして、いつまで経っても奇声を上げながら走り回る様を見ているのが辛く「いつまでここにいるの?」と困惑しながら親に尋ねた記憶がある。


もうひとつの園は園庭の遊具も豪華で、ここで良いのでは?と思ったが、説明が終わった母親からやんやりとNGを出された。
のちに、教員や親がキツい性格かつスポーツ推進園だったため、私の性格的にも親的にもしんどいだろうと判断したのだろう。
実際、その幼稚園出身者は小学校で何かと揉め事を起こすことが多かったから間違いではなかった。

最後に行ったのは、坂の上にある幼稚園。
ここは園見学の日に行ったので中まで入ることができた。
園庭には、公園では見ないような汽車の遊具やかわいい動物の乗り物がいくつも置いてあり、とにかくファーストインプレッションが良かった。
そして住宅街のため園庭はこじんまりとしており、子供たちはダンゴムシのように園庭の端々に集まって各々好きに遊んでいた。
奇声をあげたり無意味に走り回る子供がいないことも好ましく思った。

その後、母親から
「この園どう?」
と聞かれ
「ここがいいと思う」
と答えた時
「本当?ちゃんと通えそう?」
と聞かれて、
正直
(ちょっと見ただけだから、それはわからないよ…)
と思いつつ
「行ける」
と答えたことを覚えている。


そんなこんなで入園した幼稚園だが、人に話してよく驚かれるのは、朝起きるのが面倒で月2回までは休みOKという独自ルールを運用していたことだろう。
ズル休みがバレないよう、週2や2週続けての休み、同じ曜日の休みは避けながら、連絡帳を見て、計画的に休んでいた。

しかし、それも長くは続かなかった。
それは年長になって数カ月した頃、先生がクラス全員の連絡帳に出席スタンプを押してるのを、横で眺めていた時だった。

私だけが異様におやすみスタンプが多いな……。
これはもしや、皆ズル休みしないで毎日来てるってこと……???

その衝撃に私は青ざめた。
時々休みの友達だって見かけるし、みんなよろしく適当に休みながらのらりくらり来てるんだろうとばかり思っていたのだ。
異様に焦った私は、
「いやいや、たまたま毎日来る子の連絡帳を見てるだけかもしれない」
とそのままクラス全員分のスタンプが推し終わるまで眺め続け、自分がクラスの欠席数トップ2~3に入ってることを知った。
私はその日の帰り道か夜に「ズル休み、皆やってると思ってたのに、こんなに皆やらないとは知らなかった。明日からは病気の時以外休まないようにしよう…」とやたら反省した記憶がある。
それ以来、大人になった今もズル休みが出来ない。

ちなみに当時の愛読誌は「たのしい幼稚園」と「MYOJO」で、どちらかしか買って貰えなかったため、光GENJIが表紙の時だけは、泣く泣くたのしい幼稚園を諦めていた。
MYOJOを読むためにひらがなとカタカタを覚えた。
私のジャニオタのピークは5歳である。


一方で、先生の言うことを聞けない子が先生に怒られ泣き叫んでいるのを見て「なんであそこまで騒げるんだ、恥ずかしくないのか」とかなり冷ややかに見ていた記憶もある。


今振り返ると、一体どういう脳の発達をしていたのだろうかと疑問が多い。
今、世間で見る3~4歳児はこんなことを考えているようには見えないし、こんなに色々考えてる3歳児が居たら大人の自分から見てもなんか嫌だ。
実際、幼少期は、私を可愛がる大人と、あきらかに嫌悪する大人がハッキリ別れていて、そのせいで大人という生き物がよく分からず混乱していた。
無理もない。


そんな幼稚園生活のなかで、今も頻繁に思い出す出来事があった。

それは4歳の頃。
クラスでお題に沿って絵を描くことになった時のことだ。

私は当時から絵が好きで、どんな絵のお題でもいつも「よしきた、いい絵を描くぞ!」と張り切って書いていたのだが、その日に限って全く絵が書けなかった。

その日のお題は「将来なりたいもの」

私はそれまで将来なりたいものについて1度も考えたことがなかったし、そんな目で身の回りを見た事もなかった。
何を書いていいか全く分からなかったのだ。

珍しく全く筆が進まない私に、先生が
「広瀬ちゃん、書くの難しいかな?みんなの見てもいいよ」
と声をかけたことを覚えている。

そして皆の絵を見て回って驚いた。
ほとんどの女の子の友達が花嫁を書いていたのだ。
その時のショックと動揺を今でもはっきり覚えている。

え?!花嫁って1日だけドレスきるだけだよね?
そのあとは毎日ご飯作るのと掃除と洗濯するんだよね?
本気で????
みんな、そんなに掃除と洗濯が好きなの????
毎日のお片付けの時間、そんなに楽しくやってるように見えないのに、実はすごい好きってこと???!!!

しかもクラスの女子の2/3がお嫁さんの絵を書いていた。
そんなまさか、と思いつつ他の子の絵を見ると、次に多いのはケーキ屋だった。

いや確かにケーキは好きだけど……
毎日あの狭いところにたってるのは嫌だな。
それに毎日ケーキばっかり見てたら嫌にならないかな。


今思っても、ただの幼稚園の「将来の夢」に対してなぜそんなに真剣に考えていたのか不思議である。
しかし私は、絵に書いたものに将来ならなくてはいけないような気さえしていた。
絵を描くだけのお題なのに、気分は新卒就職セミナーである。

その後も、歌手、お洋服屋さん、美容師、幼稚園の先生など色んな人の絵を見たが、どれを見てもピンと来なかった。

何もインスピレーションを得られぬまま席に戻ると、もう絵を描く時間はわずかしかない。
早い子は既に絵を書き終えていた。

私は一体将来、何になりたいのだろう?
何もなりたいものがない。

そうして私は、考えに考え、結果的に花屋の絵を書いた。
理由は、残り僅かな時間で描き切れる題材が花屋しかなかったからだ。
花は書き慣れてるから急いでてもかけるし、形も簡単。人も1人書いておけば良い。
せっかく大きな画用紙を貰って楽しくもない嘘の絵を描くのは嫌だったが、描きかけの白紙を飾られるよりかはマシだった。



後日、クラスに飾られた絵の前に集まり、自分の書いた絵をクラスのみんなに説明する時間があった。
そして、ライオンや戦隊ヒーローの絵を書いた男の子の話を鼻で笑いつつ、女の子たちの発表の番になって私は度肝を抜かれた。
花嫁を書いた子達が、空想上のプリンセスと花嫁を勘違いしてる訳ではなく、本当に専業主婦になりたい(お嫁さんになりたい)と思っていることを知ったからだ。

そんなにお嫁さんになりたいものなんだ……
そんなに毎日掃除と洗濯やりたいんだ…………
赤ちゃん育てたいんだ……
まだみんな子供なのに………

私は4歳にして、世の中の一般的な価値観との乖離に打ちのめされた。

このショックは大きく、その後もおりに触れ「将来の夢」を考えるきっかけになったが道は分からず、結局将来なりたいものが分かったのは22歳くらいの頃である。

WEB系(WEBデザイン)の仕事が世の中で一般的になったのは私が18歳くらいころなので、4歳の頃に将来の夢が分からないことは正しかったことになる。
しかし、その当時存在しない仕事に就く事になろうとは思わなかった。


この出来事をよく思い出すのは、悲しいことに人はそう変わらないなぁと思うからだ。

なんでも自分で決めるのが当たり前だと思っており、
お絵描きなどの得意なことには精を出すが、毎日幼稚園に元気に通う体力はなく、
真剣にオタ活に励み、
叫んだり暴れる子供に冷酷で、
周りに専業主婦以外いないのに、専業主婦になる未来が理解出来ず、
いちいち深刻に考えては、いちいち世間の感覚に困惑している。

4~5歳なのに全く今と変わらないのだ。
むしろ、今の生活は「当時通りのまま、順当に大人になった」と言わざるを得ない。

こう考えると、人の人生というのは幼少期にある程度決まっているものなのかもなぁと思う。

遺伝子の面白さと残酷さを感じたりもする。


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