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honjitu no HIROSE

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大型アップデート 「朝五時ゾンビ」

人の成長とは不思議なもので、出来ないうちはなぜ出来ないのか全く分からないが、出来てしまうと今度はなぜ出来なかったのか全く分からなくなってしまうことがある。
自転車に乗る訓練のようなもので、時には、どんなにやっても出来なくて転んで大怪我をすることさえあるのに、できる瞬間は本当に一瞬なのである。


最近、心療内科の世話になった。
過去にも一度だけいったので今回で2度目である。

その時も今回も同じ症状なのだが、その症状が面白い。
ある朝、なんの前触れもなく、強烈な衝動に襲われるというものだ。

その衝動とは、
とにかく1秒でも早く人間がこの世にいることを確認したくなり、その衝動を無視しようとすると手が冷たくなり、次第にパニック様の精神状態になっていく。
というもの。
普段は周りに人がいるだけでHPが減り続けるという人間毒の沼生活を送ってるので、落差がすごい。完全に脳のバグである。

しかも、面倒なことにその衝動は毎回朝5時に起きる。
寝ていて夢を見ている最中叩き起されるように突然目が覚め、その直後からとにかく人間に遭遇したい衝動に襲われる。
気分はまるでゾンビである。
しかしこの早朝では誰にも会えないし、朝っぱらから人に電話をかける訳にもいかない。
仕方が無いので、今回は外に出て犬を散歩してる人の後ろを少しだけつけさせてもらい(こういう時本当に女性でよかった)
その後交番の前を通ったので、そのまま表に立っていた警官にやんわり事情を話して5分ほど雑談をしてもらうなどした。

お巡りさんは私の話を聞いて「そういう時は寝たらいいんですよ!ガハハ!」と豪快に笑い、絶対メンタル不調に陥らない人ならではのアドバイスをさずけてくれた。
そこで寝れる人間だったら、朝の5時からお巡りさんに雑談を求める奇行種なんかにならない。笑

しかしこうしてこの世に人間がいることがわかると、先程までの強烈に人間を求める衝動が嘘のように消える。
そして
「なんで朝からこんなことやってるんだよ…」
と冷静になり、そのまま帰宅して普通に寝ることになる。
ちなみにこの症状、継続性はなく、翌日からはお巡りさんの言う通り「無視して寝る」を2~3日繰り返すと普段通りに戻る。


一回目の時は精神的に極限だった時期だったので「それはまぁ脳もバグるよね」と薬で押さえ込んだが、また同じ症状が出たことで、これが起きるタイミングに共通点があることにきづいた。

それが、アタッチメント喪失の危機。

アタッチメントとは


イギリスの精神科医ボウルヴィが提唱した概念。「個体がある危機的状況に接し、あるいは、そうした危機を予知し、恐れや不安の情動が強く喚起された時に、特定の他個体への近接を通して主観的な安全の感覚を回復、維持しようとする傾性」と定義される。(Bowlby, 1969, 1973, 数井・遠藤, 2005)




一回目の時は家族の命の危機の最中、二回目はしんどい時に支えてくれた長年の友人と金輪際会わないだろうと思った日の翌日にこれが起きていたのだ。
(友人との関係は、疲労が重なり思い詰めていただけで現実ではそこまで深刻な事態では無い)


フロイトによると、
「人間は自分で認識している「意識」のほかに、自分では認識できていない「無意識」があり、それを夢を通して表現している。ヒステリーやPTSDなどの精神疾患の原因は、無意識の記憶の蓄積。」
ということらしい。

おそらく、自分の人生の根幹を支えるアタッチメント対象が自分の世界から消え去る、という意識上の危機を無意識が受け入れられず、就寝中にパニックとなっただろう。


もっと具体的に言うなら、
「無意識世界(夢の中)からの、これ以上アタッチメント対象を減らすのをやめろ、もしこれ以上アタッチメント対象を減らすなら新しいアタッチメント対象を早急に確保せよ、という強烈な警告」
のようにも思える。
朝に叩き起してまで訴えたい無意識からの要求というのは、やはり普通では無いし、この無意識下の要求が、意識に逆流した結果、人間を求めてさまよい歩く朝五時ゾンビになってしまったのではなかろうか。


こう考えると、今私の周りにいるアタッチメント対象者の数は、私が危機的な状況で健全な精神を維持できる下限ギリギリの人数、という可能性がある。
なぜなら、アタッチメント対象者を失いそうになるタイミングで100%この朝五時ゾンビが起きているからだ。

ちなみに成人のアタッチメント対象の好ましい人数は、ある調査でによると「月に1度以上会う人でかつ自分の心情を吐露でき、それに対しての肯定的な支援や支えを提供してくれる人が3~4人いる状態」とされている。
また成人の場合は、パートナーや友人が担うことが多いとのこと。
出典 終末期を迎えた高齢の親の死を受容することの困難さ--成人期の子どもへの理解と支援
(この論文面白いのでオススメです。40代以上で親御さんがご存命の方はアタッチメント関連の項目だけでも見ておくと将来役に立つかも。)

私のアタッチメント対象者は、三人ほど。
ただ、私がアタッチメント対象と思ってる人間とのやり取りは、数ヶ月に1回なので、月に1回やり取りをするという意味ではゼロ人である。




この一件、あまり良くない話に見えるが、私の中ではかなりいい発見があった。

というのも、私は世界が破滅してこの世に1人になったら笑いが止まらないな~と思うほどの孤独好きだったのだが、
朝五時ゾンビに精神を乗っ取られた際に
「人が居なくてさみしい、人に会いたい」
という心理が生まれて初めて理解できたのである。

朝五時ゾンビによって獲得したと言うより、欠落した「孤独感」が精神危機の中で復活したという方が正しいかもしれない。

システム開発では、滅多に使わないが万一の時にないとこまるプログラムを、普段使ってるシステムに繋げつつも完全に電源を切って寝かせておき、いざと言う時にそのホコリ被ったプログラムを起動させて問題を解決する、という手法がある。
まさに似たようなものだろう。


また、「さみしい」という概念が理解出来たおかげで、この世界に対する解像度が爆上がりした。
人間社会が想像以上に
「普通の人は、多かれ少なかれ人との関わりがない世界はさみしいいう感情を持っている」
「人は可能であれば緩やかに他者とアタッチメントを形成したい生き物」
という気づきは、天地がひっくり返るようなカルチャーショックをうけた。
街を見渡せば、キャバクラ、ガールズバー、井戸端会議に社会人サークル、人を求めてなかったら成立しない文化が溢れている。

私は常々この世の中について「人間は、愚かだし非合理すぎるし、とんでもない世界に生まれてきちゃったな…」とよく思っていたのだが、人間社会にある「情」と「寂しいという感情」という概念を、理解していなかったからそう見えたのだろう。





余談だが、私は孤独が好きな割に世間的には社交的と言われる部類で、社内でも色々なところに知り合いがいる。
趣味の銭湯でもおばあちゃんに声をかけられれば、気さくに話す方だ。
私はこの人たちと関係を築く意味を「緩やかなコミュニティ形成による環境の安定維持」と位置づけていた。
ざっくり言えば、殺伐としたコミュニティは事故や事件が起きやすく、汚くなりやすく、無駄だし、居心地も悪くなるので、人との社交はそれを抑止するのに便利な技だよね、と思っていたのである。
要は草むしりみたいなものだ。

だが、「普通の人は、多かれ少なかれ人との関わりを持ちたい」のであれば、むしろそんな公共施設の草むしり的な動機のみで社交をしている人間は、相当変わってると言えるだろう。
なぜこの感覚に気づかなかったのだろう。





私には夢があった。
この先順調に孤独を極め、全く人間関係がない状態にしてゆき、
何よりも落ち着く最高の自宅で籠城しつづけ、
(死んだ時見つけて貰えるように)ワタミの宅食を契約し、
できれば(タンパク質由来の床のしみは落ちないので)床以外の場所で孤独死をする。
そして、生前契約した死後手続き代行業者に火葬してもらい、区の適当な無縁仏に入れてもらう。


しかし、今回の大規模アップデートによって価値観がかなり変わってしまったから、この思い描いていた夢とは別の人生になることもあるのかもしれない。
この先、これまでとは全く違った価値観、全く分かってなかった世界を見て生きていくのだと思うとそれはそれで面白そうだとも思う。

こんな普通のことに気づくのに、人生半分もかかってしまったが、
人生まだあと半分残っているともいえる。

人間て、いくつになっても変化するものだなぁ。と感心した出来事であった。

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