自分を変えるということ。
前の話が途中ですが、閑話休題。
最近、ある仕事関係のボランティアをしてまして。
「世の中こんな人いるのかよ?!」
「この人の脳内どうなってんの?!」という人に出会う機会がすごくあるんですよね。
私が講師をしてるんですが、
理解力がなさすぎるというか、
日本語が全く通じてないんじゃないか思うくらいの出来事に出くわしたり、あまりのひどさにブチ切れたりもして本当に人間としてまだまだだと落ち込んだり、私の日頃いる世界って結構恵まれてるのだなぁと、おおらかな気持ちになったりそういう感じでやってるんですけど。
で、そこから、唐突なんですけど、
「なんで婚活でうまくいかない人がこんなにも世の中に溢れているのか?(自分含め)」
という疑問に答えが出てきつつあるんですが。
ボランティアやってるその生徒?は真剣に
「自分を成長させたい、頑張りたい、やりたい」
というんですね。
だからこっちも一生懸命やるんですけど、一回言ってその時は覚えてるし本人も説明できるんだけど、次の時には全部忘れてるしそれについて罪悪感も危機感もないというのが、頻繁にありまして。
別に覚えられないのは本人の問題なのでいいのですが、
でも彼らは本気で
「これを一生懸命覚えて成果にしたい」
っていってるんですよね。
すごい矛盾してて。
これはなんでなのかな?と純粋に不思議に思って、
論理性の欠如なのかなーとか、本当はやる気ないけど演技してるのかなーとか、いろいろ話しかけて原因をさぐってみたところ、
面白いことがわかりまして。
そのボランティアで関わってる人達と話してる中で、実は「本気でこれをやりたい」といってる言葉の前に、隠れた枕詞がついてることに気づいたんですね。
その枕詞というのが、すごい。
「自分を変えることなく(自分が成長することなく)」
です。
つまり、その成果は得たいけど自分は努力したくないみたいなんですよね。
結果だけ聞いて、それまねするから過程はいいよっていう。
なので、すぐに答えを知りたがるし、過程について説明してもすぐ忘れる。
でもそんなやり方したって、結果出るわけないんですよね。
筋トレしないでいきなりバーベル50kg持ち上げたいみたいな話なんですから。
だから筋トレしましょうっていってるのに、いやバーベルの持ち上げ方だけ教えてくれればいいから、って感じになる。
仕方ないので、先にバーベルの持ち上げ方を話すんだけど、そうすると満足してるんですよね。
実際にバーベルは持ち上げられないのに...
しかも、自分でそれを自覚してないのも特徴で、過程と結果の因果について説明しても「自分は本気でやりたいんです!やる気あります!」って答えるんですよねぇ。
なので一向に話が進まない。
まぁ理解したら、変化や努力を求められますから、それをやりたくないんだとしたら脳が拒否しててもおかしくないですけど。
で、これって婚活にも当てはまるなぁって思いまして。
だってさ、世の中五万とモテ本でてるのに、これだけもてない男の人がいて、婚活が流行りまくってるなんておかしいじゃないですか。
これは色んな婚活サイトなどを見ている時にも感じたんですけど、
婚活に際しての意見って、
「結婚したい、贅沢言ってないしわがままもいわない。普通の結婚でいい」
「でも最低限いいかなって思える普通の男性がいない」
「女性に婚活パーティーでカプってもらえない」
みたいな感じだと思います。
すごいつつましい。
でも、条件付きなんですよね。
「自分を変えることなく」
さらに婚活にあてはめていうと、
「いままで数十年恋人いなかったり、いますでに結婚できなくて困ってるけど、自分は変えないで恋人ゲットして結婚したい」
ってことなんですよね。
バブル並みにハードルはねあがりんごwwww
タイムチケットで申込みたいと思ってくださる方に今のところこういう方がいないのが救いなんですけど、いつかそれを純真な心で、なんの疑問持たずに私に「本気で結婚したいんです!教えてください!」って言う人が現れるのではないかとヒヤヒヤしています。
そして、「この人、なんの話の役にも立たなかったわ...」と思われるのも怖い。
だって変化せずに変える方法なんてないしね...なぞなぞだよもはや。
私はこのことに衝撃を受けまして。
ものっすごい衝撃と恐怖を感じまして。
だって、よく考えてみれば、
「最低限いいかなって思える男性がいない」
↓
「じゃあその市場に見合う女になればいいじゃん」
「カプってもらえない」
↓
「じゃあカプってもらえる方法覚えればいいじゃん」
の一言で論破できるんですよね。
でもたぶん、自分を変えないという深層での前提があるので、
「とはいえ私可愛くないしBBAだからやってもなぁ…」
「とはいえそこまでガツガツしたくないし…」
と続き、
「じゃあ婚活やめればいいじゃん」
という攻撃に対抗するため
「自分が変わらない範囲でできる何か」
は実践するんだと思います。
これは、さっきのボランティアでいうところの
「講師の話をひとまずはおとなしく聞いとく」
部分に当てはまると思います。
変わらないで出来る範囲というのは、たとえば女性の婚活=女子力アップとかはそうですよね。
あと婚活にいくというのも自分が変わらないでできる範囲なので同じだと思います。
その後どうするか?が問題なのにそこは変化を求められるから目をつむる。
難しいんですが、行動自体は変化とは関係なくて、行動から得たものを継続して変えていくことが変化なのかなと思います。
で、本質的には自分を変えたくないので、行動を繰り返すだけとなり、成果は出ない。
でもそれに気づかない。
だから本人も悪意なく同じ行動を繰り返すんですね。
そして、何に一番震撼したって、
自分にですよ、自分に!!
自分の中にもあるそのメンタルにほんとビビリまして。
何のうのうと生きてるんだと。
な、なにか変わらなきゃと思い、いま毎朝部屋の掃除しています。
実家にいた頃にも、「こんな生意気な人間はいつか鼻をおられるぞ 」と、自分の性根に危機感があり、毎朝、玄関とトイレと床の拭き掃除と文字の練習、お弁当作りを日課としていたのですが、それをまたやろうと思いまして。
とはいえ一人暮らし&ほとんど家にいないので、実家にいた頃からしたらかなりチョロい努力ですけど。
生活のリズムができるのはいいよね。
早起きのために早寝するようになるし。
しかし、
これってこの方向でいいの?っていうのは思いますね。
というのも、そんな折にこれを読みまして。
てかマジ面白いんで読んでください、これ。
つまり、変わるにしても変わる目標がないんですよね。
どういうふうになりたいか?という。
このキモいけど紳士なおっさんが、昔コミュ障だったのを訓練で克服したように、「コミュ障やめたい!」みたいな目標がない。
どういうふうになりたいのかなぁ?
あと、キモいおっさんのまま紳士になれるってのも驚いたんですよね、これ読んで。
そして、克服しても人と目を合わせるのは苦手っていうのにも、へんな安心感を覚えました。
克服しても自分は自分なんだなぁっていう。
しかもこのおっさんはそんな自分も認めてると思うんだよね。
そうなりたい私も。
私も、キモい淑女になりたいですね。
実は昔も淑女を目指した時期があったんだけど、所詮中身はオッパッピーなので、外面のように中身まで自分が淑女になれないことが難しくてやめてしまったんですよね。
そのあと反動もあり、泥酔しながら下品な言葉を叫びパラパラを踊りまくるすごいキャラになり、その成れの果てが今ですけどw
変なままでいい、心根まで根っからの淑女になれるわけないじゃんw変な女なんだからwという自己肯定があれば、淑女とオッパッピーは両立できるんじゃないかなぁ。
このおっさんのように。
淑女ぽいってどんなのだろう?
まず、ボロを着て会社に行くのやめよう(迫真)
これ簡単そうに見えてすげーむずかしいなぁ。
だって私の仕事服、ボロしかないしw
そんなこんなで、よくいわれる「結婚出来ない人って変わってる」っていわれるその「変わってる」って何だ?の答えが見えた八月の夜でした。
ようは「自分に固執しすぎてる、柔軟性がなさすぎる」ってところに周りが違和感感じるんだろうね。
成長したいです。私も。
誰かなんかいい成長する方法あったら教えてください。
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