自分を大事にするということ。
最近ブログやってて良かったなぁと思うことがあります。
好きって言葉の意味を、ブログを通して教えていただきました。
実は私はずっとブログ面白いとか好きですとか言われても、全然ピンと来てなかったんですよ。
どのくらいピンと来ないかというと、友達が聞いたことないアーティストが好きっていってるのと同じくらい。
へーそうなんだーくらい。
申し訳ないのですが。
友達に言われることもあるんですけど、「あ、そう?それはどうも」くらいなものでした。
なんでかというと、その起源は小学生の頃にまで遡るのですが。
こういうこというといやらしいんですが、私は子供の頃、作文で賞状もらうことが結構あって。
実は、何かいたらウケるか、感覚的にわかってて書いてる節があったんですよ。
なぜわかるかといえば、ACとして常に大人の顔色を伺っていきてたからです。
でもさ、それで賞状もらって何思うかっていうと、
「(ウケるように書いてるから)もらえて当たり前」
なんですよ。
作文だから自分で思ったことを書いてはいるんだけど、そこで認められるのは「作文的にウケる自分の考えたこと」であって、「自分の考えたこと」ではないんですよね。
そういうことやってると、どんどん心が冷めてきます。
自分が評価されてるわけじゃかいからね。
「こうすればいいんでしょ、知ってる」ってなっていきます。
そんな子供が大人になって書いたのが、このブログです。
婚活の記事がよく読まれるようになってから、年末辺りの記事まで、ずっと「読んでもらって何かためになるなり、面白みがある内容」に気をつけて書いてました。
もちろん、自分が楽しんでかける範囲、という前提ですが。
そのために人気の記事の傾向も把握してたし、投稿のスパンもきちんと管理してましたし、ブログでネタになりそうなことがあればメモったりもしていました。
書きながら、きちんと落としどころを考えて構成もしていました。
あんな記事でかwって思われるでしょうけど。
そうなると、みなさんから褒めてもらったとき、どう感じるか。
それが冒頭に書いたことになります。
私だけのために。
以降、実はいろいろ考えてというか、なんとなくな流れで、自分のために生きようってのもあって、
いまは、書きたい時に書くことにしてます。
前みたいにかこうとしたけど、かけなくなりました。
内容も別に、思ったから書いてるだけだから、投げっぱなしジャーマンです。
PVもみてないけどかなり落ちてるでしょう。
拍手も全然つかなくなりましたね。
でもさ、いま、昔より嬉しいんですよ。
文が好きとか言われると。
とくに私は思想を書いてますから、それに対して好き嫌いって絶対出ると思うんですね。
そのうえで一時でもそう言ってもらえるって、純粋に嬉しいなと。
たとえるなら。
私は私が食べるために好きなケーキを作ったとする。
自分が満足するために作ったケーキだから、なんか、こう、変なケーキなんですよ。
味も私が楽しむ専用の味だけど、私はそれが好きだから満足してる。
でも、それを人から好きだと言われると、自分で満足してそれで充分なのに、さらにボーナスがもらえた気がして、嬉しくなるんですよ。
私が作ったものを認められる嬉しさでなくて、仲間がいる嬉しさなんですよね。
かいてて思うけどさ、クリエイティブの本髄ってこういうことなのかもね。
婚活の話するとさ。
私は、もともと接待とか話とか仕事で鍛えられてるから、初回の面接を盛り上げて人に心を開いてもらうって、比較的簡単に出来るんですよ。
初対面の人にこんなに色々話してしまうの初めてですってよくいわれます。
でも、作文と同じように、好感を持たれてるのは、接待用の私であり、私ではないですから、もう会いたくないんですよね。
でもどうしても接待モードになっちゃうんですよ。困ったことに。
今思うと、それって、普通の私は人に見せられた物じゃないって言う、裏返しなんですよね。
自信のなさです。
でもいまは、自分を出してそこになにか感じてもらえる方が、よほどいいとわかるようになった。
接待用の私で100人に好かれるより、自分を出して1~2人に好かれる方が、よっぽどいいとようやくブログを通してわかった。
自分を出すって、そんなやりたい放題で好かれるわけないでしょ?って思うじゃないですか。
たしかにそうだとおもいます。
でも、だからこそ、自分を出してそれをいいって言ってくれるその1~2人って、とても尊いじゃないですか。
わーうれしいありがとうって。大事にするねって。
自然とそうなると思うんですよね。
自分(そして相手)を共有できる貴重な仲間として。
仲間のことをわがままいってこまらせたり、欲望のサンドバックにしたりなんて、できないですよね。
それは仲間じゃないし。
自分を大事にするように、相手を大事に出来ると思う。
自分を大事にしてないと相手を大事にできないって、ほんとだなって、今思います。
まぁこれ、頭でそう思っただけだから、できるのかどうなのかちょっとよくわかんないんだけど。
案外男性と話した途端、またハイパー接待始める可能性も無きにしも非ずだからね。
でも、そんなことを最近思いました。
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4 Comments
ありがとうございます。
そうですね、、、
これに関しては諦めだと思いますよ。年始あたりの別の記事でかいたのですが、父から「ま、いっか」とおもういう技を教えてもらったのですけど、
もう私は変な人間だし、普通じゃないし、もうそういうものなんだなと認めました。
そうすると、普通にできないことになんとも思わなくなります。
いや、だって普通じゃないしwっていう。
そして、それを認めるからこそ本当の打開策が見えてきます。
(私の場合は他者とはわかりあえなくて、勘違いも起きやすいからこういうときはこう注意する、という具体的気付きを得ました)
人付き合い、苦手でいいじゃないですか。死にませんよ苦手でも。
私も社交的な割に人付き合い嫌いなんですけど、嫌いすぎて本気で孤独を極めてみたら、人間は孤独になると死ぬな、生きた屍とはこういうことか、と気付き、これはヤバイと思って人と触れ合うようになりました。自発的にw
人間、好きなものを食べちゃいけないと思うとそれに心囚われますが、死ぬほど食べると流石に飽きて執着しなくなるものだと思います。
人嫌いもそうじゃないですかね。
やっちゃダメだと思うからとらわれるので、飽きるまでやると執着しなくなるきがします。
>偶然たどり着きましたが、とてもいい文ですしすごく共感しました。私も子供の頃から営業用の自分で過ごしてきたタイプの人間です。自分を大事にしたいと思います。でもどうやって本当の自分を出せばいいのかもわからず。。適当なコミュニケーションはできる反面、本当の自分では人付き合いが苦手でいい大人になった今すごく苦労しています。どうやって今のスタイルになれたんでしょうか?
そうですね、、、
これに関しては諦めだと思いますよ。年始あたりの別の記事でかいたのですが、父から「ま、いっか」とおもういう技を教えてもらったのですけど、
もう私は変な人間だし、普通じゃないし、もうそういうものなんだなと認めました。
そうすると、普通にできないことになんとも思わなくなります。
いや、だって普通じゃないしwっていう。
そして、それを認めるからこそ本当の打開策が見えてきます。
(私の場合は他者とはわかりあえなくて、勘違いも起きやすいからこういうときはこう注意する、という具体的気付きを得ました)
人付き合い、苦手でいいじゃないですか。死にませんよ苦手でも。
私も社交的な割に人付き合い嫌いなんですけど、嫌いすぎて本気で孤独を極めてみたら、人間は孤独になると死ぬな、生きた屍とはこういうことか、と気付き、これはヤバイと思って人と触れ合うようになりました。自発的にw
人間、好きなものを食べちゃいけないと思うとそれに心囚われますが、死ぬほど食べると流石に飽きて執着しなくなるものだと思います。
人嫌いもそうじゃないですかね。
やっちゃダメだと思うからとらわれるので、飽きるまでやると執着しなくなるきがします。
>偶然たどり着きましたが、とてもいい文ですしすごく共感しました。私も子供の頃から営業用の自分で過ごしてきたタイプの人間です。自分を大事にしたいと思います。でもどうやって本当の自分を出せばいいのかもわからず。。適当なコミュニケーションはできる反面、本当の自分では人付き合いが苦手でいい大人になった今すごく苦労しています。どうやって今のスタイルになれたんでしょうか?
偶然たどり着きましたが、とてもいい文ですしすごく共感しました。私も子供の頃から営業用の自分で過ごしてきたタイプの人間です。自分を大事にしたいと思います。でもどうやって本当の自分を出せばいいのかもわからず。。適当なコミュニケーションはできる反面、本当の自分では人付き合いが苦手でいい大人になった今すごく苦労しています。どうやって今のスタイルになれたんでしょうか?
検索から過去の記事にヒットし、なんてためになる!と思いながら面白く読ませていただきました。最近の記事が気になりこのページに来たところ、共感して泣いてしまいました。ふだんはコメントなどできないのですが勇気づけられたので。ありがとうございます。