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honjitu no hirose

広瀬ヒロ

虚空に向かい思考を吐露して17年。 伴侶は孤独、幼なじみは希死念慮、命を支える偉大な信仰、降谷零。 自己葛藤から抜け出せない永遠のモラトリアム中年。引き続き、七転八倒をお楽しみください。

自分は何ができるのか、相手に何をしたいのか


数年前、私は今の会社に残るか、ある企業に転職するかというのを迫られたんですね。

その時のメモがこの辺です。


http://hirosehiro.com/blog-entry-1161.html

http://hirosehiro.com/blog-entry-1163.html

前後の経緯ないのでわかりにくい部分もあると思いますが。



当時を振り返ると、転職する気満々だったのですが、結局今の会社に残ることにしました。

その理由は





「転職するにしても、尊敬してた先輩たちが転職するから以外の理由がない」ということでした。

ようは、人を基準に転職しようとしてたんですね。

自分でもあんまりそういう決断はよくないとうすうすは思ってましたが、結局転職しない決定打となったのは、ある人から
「そういう、人を基準にした転職は絶対にやめろ、その人たちがいなくなったらその会社を辞めるのか?そうやって転職を繰り返すのか?」と強く言われ反論できなかったからでした。

最後まで、人に言われて決断したという色が非常に濃い出来事でしたね。


もっというと、今の会社にはいった時も同じような感じでした。
実は入りたい理由があんまりなかった。
めちゃくちゃ入りたいんだけど、理由が「みんなの役に立ちたい」だったんですよ。

で、当時みんな(すでに社内の人間とは面識があった)が必要としてくれてたから入社したかったというのが入社したい理由だったので、
入社面談では「え?実際君何ができるの?なにしたいの?何のために入社試験受けにきたの?」という展開になってしまい、かなり危うい感じでした。

確実に受かるだろう面談に落ちかけたため、その時も自分がない、自信がないというのをいろんな人からさんざん言われた記憶があります。

でも、わかんないものはわかんないんですよね。


みんなが求めてくれるからやりたい、みんなが行くって言うから行きたい。
自分がない人の典型です。



さて、現在の話に戻りますが、最近激務にくわえ、同僚のことでメンタル的にもまいってまして。

辞めたい。

勢いでやめる。若ければそれでもいいけど、この年でそういうのは…

でも辛いし辞めたい…

人生の戦に負けを認めた人は、それをどう振り返るのか、いまどう生きているのかというのが気になりまして、この本を読みました。





ワイキューブの社長、安田さんの廃業録。

ワイキューブといえば私の若手のころは、業界では非常におしゃれでイケてる人気企業の一角でした。優秀な人が本当に多かった印象です。

読んでて思ったのは、「みんなが喜ぶと思った、だから○○をした」「みんなに迷惑をかけられないと思った、○○をした」という記述がかなり多いこと。

みんなにかこまれ、みんなに必要とされる自分でありたいという色が強く読み取れます。

おそらく資金繰りに奔走した時も、みんなのためというのが大きかったでしょう。
問題に対して都度都度パッチを考える経営方針だから、次第に行き詰ってゆく。

さらに
事業判断において、「自分は何ができるのか」「何がしたいのか」ではなく「相手に何をしたいのか」が主軸になっているんだな、ということも感じました。
この違いわかりますかね。

自分は何ができるのかという軸は、自分の立ち位置が変わりません。器用な人でもおそらく2~3の自分の立ち位置を移動するだけでしょう。
相手に何をしたいのかという軸は、自分の立ち位置が都度変わります。軸の中心が、相手だからです。


自分は何ができるのか、というのは、自分の引き出しの中から相手にマッチするものを提供します。
相手に何をしたいのか、は、相手が求めるものを察して、自分の引き出しからそれを出したり、時には作ったりします。
引き出しの量でいえば後者のほうが絶対的に多いです。


私は社会人として後者でいいと思っていました。ずっと。それで何が悪いのだと。
でも、今までの経緯で自分という軸ができてきて、後者の危うさがようやくわかるようになりました。


小さい問題として、便利屋として都合よく扱われるというのがあると思います。都合のいい人を脱せない。
私生活において都合のいい人は”そういう人を都合よく使いたい人の餌食になりやすい”というリスクもあります。

もうひとつクリティカルな問題として、
相手を察するという軸の特性上、自己位置をもてないんですよね。
常に相手を中心に移動して、相手のニーズを察することになる。


そうすると、引き出しは増えるけど、引き出しがいっぱいになっても引き出しを増やし続けることになります。

そのうえも引き出しを捨てることもできず、すべての引き出しを磨き続けることが必要となります。
そうすると何が起きるか。めっちゃ器用な超人が生まれます。
みんなから凄く愛されるでしょう。
超人はさらに頑張っていろんな引き出しを持ちます。

私はそれでいいと思ってました。

しかしここからが問題なのですが、人間には許容がありますから、いつか持ち切れなくなってパンクします。
パンクして、病みます。
人の期待に応えられなくなるからです。


病んでも引き出しを捨てられません。相手のための引き出しだから。
誰かに「その引き出し捨てたら?」って言われないと捨てられないのです。

どんなに優秀な人でも、いつから許容量を超えますからパンクします。
人のためという軸を持った時点で、それは破綻の入口なのです。

相手に何をしたいのかを軸にする人間は、おそかれはやかれ確実に病みます。

人のために頑張ってるとうつになりやすいとか、よく言われていることだけど、それって式と回答だけの話で、途中式を私なりに言葉にすると
こういうことかなと思います。

申し訳ないけど、安田さんの本にはそれが顕著に出てますし、本人もそれにきづいてるようなことが書いてあります。



やはり、今回のような理由で逃げやめるのはよくないなと、読んでそう思っていた矢先、とうとう会社からメスが入りました。
そのせいで職場環境が良くなり、別に今辞めなくてもいいかもな…くらいにはなってきています。



しかし、今回色々考えた中で、見えてきたぶぶんがあります。


今は必要とされてるかじゃなくて、私がやりたい、楽かどうかという基準で考えています。
考えられるようになった。


そして転職となれば(なんやかんやあって)、迷惑かけたほうぼうに頭を下げて交渉することも、あるかもしれません。

でもそんなことはどうでもいいことだと思っています。
迷惑をかけるなんて枝葉の話です。


私は、私のために、私のパフォーマンスが最大限に生きる場所を確保する責任があります。
私が病まないで生きていける場所を確保する責任があります。



そういう経緯で、転職したい理由も明確に見えてくるようになりました。
今の会社が嫌だから辛いから転職するのとも違います。
単に自分の考えてることと今の会社がマッチしてないから出たいだけです。
私は今まで大手思考でしたが、正直今回転職するなら、無名でもよいと思っています。

こう生きたいというもののために転職するわけですからね。


あと昔は「認められたい」という他人軸で採用試験受けてたので、不採用となると自殺せんばかりに苦しんだ記憶があるのですが、
でも今回の転職は、おそらく私のやりたいこと、いかしたいことがあって、それに賛同してくれる企業を探す作業なので、別に興味持ってもらえないならそれで結構だし、ミスマッチによって不採用になっても何とも思わないと思います。



自分の軸が決まった時、はじめて何を捨てて大丈夫なのかわかるのだと感じています。
軸がないから、何も捨てられず疲弊するのです。



いままで、自分に対して責任がなさすぎた。
自分が快適に生きることに無責任だった。だから変な人に搾取されてるのに防衛できなかったり(そもそも防衛という概念がない)、病むようなことばかりに巻き込まれていたのだと思います。

当たり前の話なんですけど。本当に。





とはいえ、うちの会社本当にいい人多いし快適すぎてやめにくいんだよね~。

転職するする詐欺化しています。


広瀬ヒロ

好きなように書いています。

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1 Comments

ちぃ says..."おめでとうございます!!"
今後の方針が決まったようでおめでとうございます!

ヒロセさんはスキルがある方だと思うので、心が決まったらきっとあとは早いですよ。

私は面接がとにかく得意なので勝手にアドバイスします(笑)
①腰は低く、笑顔を絶やさない。
②でも自信満々に偉そうにする。
③自分には幸運の女神がついてるかのごとくラッキーガール(笑)だと思う。
④受け答えの時にフランクさや人間くささを入れる(機械的に堪えない。)
⑤面接官もただの人間。面接中もただの会話と思う。(絶対に履歴書でいじられる部分があるので、普通にその話で盛り上がったりしますw)

以上です!
笑顔とラッキーガール(笑)だと思うのめっちゃ大事です( ´ ▽ ` )ノ
2015.07.24 15:23 | URL | #- [edit]

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