モテない人ほど環境に注目しよう。
婚活パーティやpairsで気になる人から連絡が来ず、
「気になってる人から連絡がない」「何が悪かったんだろう」「全然人気がなかった不細工だからだ」
という話をよく見る。
当然、喪女のメンタリティとして「自分がモテないからだ」という話に帰結するし、
私もそう思うこともあった。
しかし、たとえば想像してほしい。
あなたは服屋でスカートをみつける。
これはもう逃したら買えない唯一無二の服だというものがあれば、お金がなくても無理にでも買う。
でも、ふつうはいろんな事を考える。
このスカート高いし買ったら月末大変かもな~。
店員さんは優しくて感じいいけどな~。
まだセールの時期でもないし、スカート他にもあるからな~。
まぁいいや。
そうして店を後にする。
スカートに心があったら思うだろう。
「私は買ってもらえると思ったのになんで…もう何をしたら買ってもらえるのかわからない…自分がかわいくないスカートだからだ」と。
こうかくと、スカートの心情がおかしいのは容易に分かるのに、何故か婚活だと「私が選ばれないのは私がブスだからだ」に帰結する。
なぜか。
それは「状況を俯瞰して見れてない」からだったりする。
俯瞰して見れないってどいういうことか。
書いたように、物事には、いろんな条件がある。
スカートが買われるには
・スカートがかわいいか
・スカートを買う気があるか
・スカートの値段が財布と見合ってるか
・スカートが手持ちの服と会いそうか
・直近で似たスカートを買ってないか
・サイズ感があってるか
など。
これらの条件があって初めてスカートは買われる。
これらを無視して自分が見える範囲の事だけで原因を特定しようとするから
「スカートがかわいいか」
という条件以外が想定できない。
つまり客観性がないとそういう狭い結論になりやすい。
物事を検証する時に「ド近眼」すぎるのだ。
モテナイ人というのは往々にして「物事を検証する時にド近眼すぎる」という問題を抱えていると思う。
逆に言うとド近眼過ぎるから(客観性がないから)持てないとも言える。
ド近眼すぎるから対応方法も間違えて泥沼から脱せない。
世の中のこういった対人面に関することは、簡単に言うと
自分のポテンシャル×環境変数=自分の幸福度・快適度
という公式で成り立ってると思うとわかりやすいのではと感じている。
この場合、ポテンシャルというのはスカートのかわいさ、環境係数というのは「スカートをほしがってる人が多くいる場所」となる。
冒頭のような、
「何が悪かったんだろう」「全然人気がなかった不細工だからだ」という結論。
これはそもそも「環境という変数」を無視している。
うまいこといい環境を引き当ててる時はまだいい。
たとえば
自分のポテンシャル3×環境変数2=幸福度6=結構いい感じ
となるが、
自分のポテンシャル3×環境変数0=幸福度0=最悪
となる。
でも本人には環境係数が見えてないので、
「自分のポテンシャル=結構いい感」かと思った翌日には
「自分のポテンシャル=最悪」
となるなどとにかく自分に対する評価が安定しない。
精神の摩耗が激しい。
そのはてには「上だと思って落ちるのと、下だと思ってて上がるのなら後者の方がダメージは少ない。なら、自分は最悪だと思うことにしよう」
などと考え出す。
こうして自分を守るために自分をけなす人間が生まれる。
最悪だから持てないのではない。ド近眼すぎる、ただそれだけなのに。
同じように、見た目に自信が無い人が写真だけで異性を選ぶサービスを利用したと考えよう。
(pairsとかそういうの)
当然人気が出ない。
ここで大事なのは本人のポテンシャルではなくて、「容姿に自信がないのに、何で容姿で選別されるような市場(環境変数が低くなるフィールド)を選んでいるのか?」
という部分が問題だったりする。
いってみれば、なんで相手がディグダ出してるのにピカチュウだすんだよ、っていう話です。
容姿が武器でないと分かっていながら、容姿で選別される市場を選び、「やっぱりブス不細工は駄目なんだ」と認識を深め精神衛生が悪くなる状況を自ら作っている。
なのに環境変数という概念がないので
「もしかしたら自分がハッピーになる出来事が起きるのではないか」
「みんなはここでおいしい思いしてるらしい。(私にも何かあるはず)」
という淡い期待によって、その自分が苦しむ市場にしがみついてしまう。
同じ環境に身を置いても、適用される変数はみんな違うのだ。
いままでモテで例えて話したが、これは人生の至ることにいえる。
友人関係、職場、自分のおうちでの生活、何でも。
だから、自分が快適に楽しく過ごせる場所を作る、
自分がつらくなる環境をはじいていく必要がある。
特に、楽しく過ごせなくても人間しにはしないが、自分がつらくなる環境は精神衛生的にかなり悪いので、
生きていく上では、楽しいフィールドよりも、つらくなる環境にとくに敏感に、避けていく必要がある。
ちなみに、親との関係が上手くいってない人間は、確実に環境変数の概念が薄い。
なぜかというと、強制的に環境を与えられたり押し付けられる経験が多いと、自分で環境を選ぶことができるという認識が薄くなると同時に、辛い環境という概念にも蓋がされるから。
(蓋しておかないと自我の葛藤でストレスが溜まるので、成長過程でその意識を抹殺するのだと思う)
というわけで、「環境変数」が低くならない場所を選ぶか、つくるかしかない。
たとえば、容姿が悪い状態で、容姿勝負の市場に出る位なら、自分の容姿が悪いことを再認識しないで済む、という理由で、「何もしない」というほうがよほど良かったりもする。
これも環境変数が低くならないひとつの方法だと思う。
ちなみにフェイスブックのザッカーバーグは好きな人に見向きもされなかったので「自分が最高に立派ないい男に見える場所(環境変数が最大値になる場所)」としてフェイスブックを作ったらしい。
さて、快適な環境を見つけると何が起きるか。
1.明るくなります。
快適だからね。
2.物事に執着しなくなります。
快適な人間はそうケチケチしません。
3.人を信用できるようになります。
いい環境があるから快適なので環境を提供してくれる周囲に感謝するため。
また時に交友関係が狭まることもありますが、それまでより健全になります。
後孤独を気にしない。
自分の意識で孤独を選んでいるからね。
人間、自分の意思で選んだことは、あまり苦労を感じません。
「まいっか、変な人と一緒にいても面倒なだけだし」
「これはいやだけど、快適な環境を保つためには仕方なくやるかー(たとえば仕事など)」
と、割り切れるようになる。
まいっか、大事。
最初の話に戻り。
こうやって考えると、見た目が良くない場合、高齢の場合の
「環境変数が高い市場=見た目で評価されない市場」というのは、
やはり「内面が評価される市場」なのではないかと思います。
つまり職場や趣味や、なんらかの人間の関係を築けるところ。
しかも、自分をわかってもらわなくてはいけないから、長期戦になります。
でも、婚活市場で七転八倒して自己評価をさげるより、私はよほどいいのではと思います。
恋愛だけじゃなくて、環境変数つまり、自分が快適に暮らすための人生の土壌作り、みたいな概念、そういう概念を持つことが大事だね。
そういう話でした。
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