たのしい村のくらし
私は今、村に住んでいる。
一応市ではあるが、まぁ村みたいなものだ。
まずJRの駅まで車で30分かかる。
そして物価がめちゃくちゃに安い。
大根78円とか普通にあるし、普通の10束分くらいのほうれん草が100円買える。
買えるというか、実際は空き缶に100円入れて、勝手に持ち帰る。
すごいシステムだ。
あと紫色の軽自動車をとにかくよく見る。
どこでうってんのそれ。
村の決まりなのその色は。
もっとも衝撃を受けたのは、車道の脇の歩道にデフォルトで雑草が生えてることだ。
しかもその量が尋常ではなく、歩道を自転車で走ってるとバシバシ当たる。
逆に都心の歩道にはなぜ雑草がなかったんだ。
もしかして誰かが抜いてくれてるのか??
そんな驚きに溢れまた村の生活もだいぶ板についてきた。
今日はたのしい村の生活について紹介したい。
まず、村でのユニフォーム。
我が村での、フォーマルトラディッショナルスタイル、それはジャージだ。
ジャージ、ゴムサンダル。
これが村での正装である。
当初、村人達が、ジムに行くでもないのに成人がジャージを着て、ベランダから出てきたようにクロックスの偽物を履いたまま、村を闊歩する様子に衝撃を受けた。
以前住んでいた街では、たとえ徒歩50mのコンビニでもそんな格好で歩いてる人間がいなかったし、実は1回そういう格好で表に出たことはあるが、日があるうちはさすがにしんどいものがあった。
しかし、この村では部屋着で表に出ていい。
私の見る限り、駅前1km圏内以外は部屋着で移動していい。
実質、村全体が部屋みたいなものだ。
ちなみにこの村は変質者が多いらしいのだが、これも村が部屋だと思えば頷ける。
部屋で全裸になって何が悪い。
なんて村の生活は人間らしくストレスフリーなのだろう。
私も村のしきたりに従い、土日はジャージをきて、ビーサンでうろつくようになったのだが、実際めちゃくちゃストレスフリーで、最近は毎日そのスタイルになってしまった。
パーカーよりもはるかに楽。
なんといっても洗濯が楽。
アクロンもネットもいらない。
しかも乾くのめちゃくちゃ早い。
村のおかげで、私のジャージライフはますます豊かになっていくばかりだ。
正直、会社にもジャージで出勤したい。
世の中の人間はなぜジャージで通勤しないのだろう。本当に不思議でしかない。
また村では見たこともないメーカーのジャージがありえないような値段(大体1000円)で売っている。
きっと村の正装なので、村の補助金が出ているのだろう。
ジャージは神の与えし万能の産物である。
なんなら創造記で神が7日目の夕方くらいにサザエさん見ながら作ったのがジャージであっても不思議はない。
そうでなければこんな素晴らしい衣服を人間が考えたとは思えない。
そんな村の正装ジャージに身を包み、最近行った村のある場所。
ゲーセン。
ゲーセンである。
私は2~3年に1回、唐突にメダルゲームをやりたくなる病を罹患している。
その発作を収めるべく、私は村に越してきた記念も兼ねて、自転車を20分ほど漕いで近所のゲーセンに行った。
補足するが、村で暮らしていると村の瘴気にやられて自転車20分は東京暮らしでいう徒歩5分くらいの感覚になる。
そのため自転車20分は誰がなんと言おうと近所だ。
そして、たどり着いたゲーセンは、ただのゲーセンではない。
車が100台位止められるし、ゲーセン自体も体育館くらいある。
私はこのゲーセンを見た時、ゲーセンなんて、客単価1500円、日に平均150人来客くらいのはず。
そんななかどうやってこの広大な土地を維持してるのだろう、と不思議でならなかった。
今もよく理屈が分からない。
ここで、いったん、メダルゲームの魅力を説明したい。
やったことがある人は分かるだろうが、メダルゲームは確率制御がされているため、プレイヤーの努力や行為が全く成果に反映しない。
ただ機械的にメダルを2秒に1回投入口に投げ入れる作業を延々と繰り返すだけ。
パチンコと似ているが、パチンコは確率により現金(報酬)が得られるがメダルは換金できないため報酬はない。
ソシャゲと似ているが、推しの画像という絶対的に得たい目標もなく、普通の趣味と違って上達や達成もない。
とにかく際立って無駄な行為なのだ。
しかしそんなメダルゲームにも突出して素晴らしい点がある。
それは無駄であるが故に「何の成果も求められない作業」であることだ。
普通仕事なら成功するとさらなる厳しい成功を求められし、失敗したら周りに失望されるなどの何らかのペナルティがある。
しかし、メダルゲームはなんの努力や思考や過程をも求めることなく、どんな才能や出自であろうと平等に、ただ確率に従い成功/失敗するのだ。
能力により格差が広がり、どんなに気楽な楽しい娯楽でも成果が求められる厳しい現代社会に咲いたピースフルオアシス、それがメダルゲームである。
そうはいいつつも、毎回、メダルがなくならないうちに正気に戻り
「うわっ時間と金の無駄すぎ、もう二度とこんなことやりたくない」
と忸怩たる思いで店をあとにすることが多い。
でも2年するとまたやりたくなるのだ。
ゲーセンには、ケンタッキーフライドチキンのスパイスでも撒かれてるのだろう。
そうしてゲーセンを後にした私は、村の人気スポットを訪れた。
村の人気スポット。それはシャトレーゼ。
私は都内に住んでいた頃、自分の住んでる区にシャトレーゼ、リンガーハット、コージーコーナー、ミスドが無いうえ、餃子の王将も区内に1件しかないことに格別の恨みを抱いていた。
しかし、村にはその全てがあるのだ。
ここでいう「全て」はゴールドロジャーのいう「この世の全てをそこに置いてきた」の全てと同義である。
それくらいに尊い。
いってしまえば、ゴールドロジャーの残した宝はシャトレーゼ、リンガーハット、コージーコーナー、ミスド、餃子の王将である。
シャトレーゼを知らない人は適当にググって欲しいが、シャトレーゼとは、尋常じゃない投資と熱意漂う商品開発力と、企業規模に見合わない熱心なブランディングと堅実な経営のおかげで、安くて美味しいアイスを提供してくれる村のテーマパークである。
そこでアイスを大量に買う。
で、そのまま川沿いの土手を自転車で走りながら、アイスを食べる。
先程説明したように、村自体が実質家の中なので、アイスを食べながらうろついてもOKだ。
お行儀が悪いということもない。
自分の住んでる区では、スーパーの袋をぶら下げて食べながら買ったばかりのお菓子を食べつつ歩くと、子供にさえ犯罪者を見たようなギョッとした顔で見られる。
その点、村はすごい。なんでもありだ。
以上が私の、村での1日である。
週末になると、ジャージを着て自転車でゲーセンにゆき、郊外型アイスクリームショップでアイスを買い、日暮れとともに帰る。
日本の原始的なマイルドヤンキーの見本のような暮らしである。
仮住まいなので、来年には元住んでいた街に戻るのだが、想像以上に村の暮らしに馴染んでしまっているため、引っ越したあと都会の暮らしに馴染めるか若干心配だ。
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