俺は深夜残業をやめるぞ!!ジョジョー!!!
実に2年ぶりに深夜残業をした。
しかもその理由がまたしょうもない。
毎日1時間ずつ残業すればよかったものを体力のなさから早く帰りたくてスルーして帰り、結局月曜から木曜の残業を金曜に処理するハメになったのだ。
つまりこう。
月曜退社 19時
火曜退社 19時
水曜退社 19時
木曜退社 19時
金曜退社 1時
先週、会社の人の子供の宿題が終わらないトークを聞きながら爆笑していたのに、翌週に自分の身に降りかかるとは。
しかも10時半の時点で翌週朝イチの会議の資料をまっっったく作ってなかったことを思い出しやり始めたのも良くなかった。
よーし帰るぞ~!と思ってからの。
企画書もう1本。
本当に最悪であった。
マジで終電ギリギリまで仕事が終わらない時、仕事が終わらない心の焦りと終電への危機感で謎の震えが走り、その震えにより打鍵をミスし仕事がどんどん終わらなくなるスパイラルにハマるのだが、久々にそれを味わいながら思ったことがある。
深夜残業とか、マジでクソだな。と。
昔なんで終電ダッシュに快感を感じてたのか全く謎。
20代の頃は20時ぐらいまでの仕事だとがっかり感に苛まれたし、毎日定時で帰る仕事を振られた時には悔しさで毎日泣きながら帰ったものだ。
悔しさのあまり毎日22時まで勉強して帰ってたし、その後配属が変わり、22時以降まで会社にいるようになってからは達成感と満足感でいっぱいだったことを鮮明に覚えている。
しかし、ほんとにあれは自分だったのだろうか?
薬でもやってたのでは?
輪をかけて謎なのは、私は残業120時間くらいだったこともおおいとおもうのだが、昔はそれが結構普通だったのに、最近の世の中では突如として極悪非道鬼の所業のみたいに言われてる事だ。
つい6~7年前までみんなで「今月80時間だった!今月100時間超えたら残業制限かかるところだったあぶない~!」などと、150時間残業、100時間残業の面々と笑いながら話してたのに。
ほんとにあれは現実だったのか?
この1件について、ぼんやり電車にゆられながら思ったことがある。
よく価値観があうことが大事とか価値観の相違とかいうが、人間、5年ぐらいで価値観が変わるということだ。
この価値観が変わるというのは、時の流れとともにゆるやかに価値観が変わるということではない。
人間5年も生きてると、大体「なんかしら価値観を揺るがす事件」に出くわすということなのだ。
自分のような自我がはっきりした人であっても、人生をかけて打ち込んだ価値観であっても、
色々な出来事によって、その強固な思いも、ものの5年で昇華してしまうのである。
こう考えると、むしろ価値観の相違で離婚する方が自然なのかもしれない。
別に何が言いたいわけでもないが、このブログは私の仕事の価値観を定期的に記して、時々振り返る目的で書いてもいて、まさか20代の全てを捧げた絶対の価値観に対して、最終的にこんなオチがつくとはおもわず、興味深いというか拍子抜けしたので、描いてみた次第である。
小説みたいに、美しいラストとは限らないものだなぁ。現実は。
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