人生の税金。
世の中、実際やってみたり中に入ってみると、外から見た時とは全然違う本質を持ってるんだなぁと思うことがある。
以前、人生相談的な、人の悩みに答えるような商材を調査してたとこがあって。
しばらく調べると、その商材で最も効率よくお金を設ける方法というのが、「その人を全肯定する」もしくは「全否定して100%これをやれば間違いないという道を示す」なんだなということが分かってきまして、すごく驚いて。
もうね、それを信じてどうなるかとかどうでも良くて、その人のみたい未来を見せてあげ、これさえやれば確実といってあげる。
そういう感じなんですよ。
例えば婚活セミナーみたいなのでも、「高望みしていいんですよ、あなたを自由にしてあげましょう、そうするとあなたの魅力が増して云々かんぬん」みたいなこと言う人とかいますけど、その結果結婚出来なくても責任取らないじゃないですか。
あとこれさえやれば必ず痩せる!みたいな。
ああいう感じです。
外向きは「人生相談」で、外向きとしては、「問題解決」を売ってるように見えるんだけど、実態としては、あなたの未来には一つも心配入らないという「安心感」を売ってるんですよね。
究極言うと、問題解決してなくても安心すればいいというなかなか凄い業界でした。
こういう風に、世の中には外から見える姿とは別の本質、コインの裏表のようなものを必ず持ってると思うんです。
私の今やってる案件というのは、ドラマチックな感じがあるんですよね。
狭い世界の仕事なのではっきり言えませんが、劇の監督みたいなものです。
ただね、やってみるとですね。
意外なことに、この仕事は
「マウンティングをとられやすい」
という盲点がありまして。
私の仕事のいろんな経緯も相まって、「あんな程度の監督なら私でもできる」「俺の方が演劇に詳しいし知ってる」というのを思ってて、
そういうのを私を攻撃して批判することで自分の方が上だとアピールしてくる輩がいるんですよ。
(面白いことに、これをする人は実際監督したことある人より監督したことない人が多い)
非があるから責めるというより、責めるために非を探す。
そういうことをやり出すやつというのは暇な人間と相場が決まってるので、こちとらそれどころではないのに暇人のお守りまでしなくてはいけない。
で、監督の仕事というのは表向きは「なんかクリエイティブなかっこいい仕事」なんだが、裏を返すと「ただマウンティングとられてボコボコにされる仕事」だったりする。
みんな表向きはすごく刺激的てみんなを感動させる劇を作りたい!って言ってるけど、ホントは誰もそんなもの求めてない。
輝かないのが自分なら、スポットライト自体をぶっ壊す。
輝かないのが自分なら、元々この劇に関わってなかったことにする。
これは実際色んな監督を見たり、ネットで監督記録をつけてた人を見て回っても、そういうオチになった劇をよく見る。
余談だけど、劇の崩壊から逃れる方法がふたつだけある。
ひとつは、全員にスポットライトが当たるように調整するという技。
代わりに全員にスポットライト当てるので、もう劇としては破綻する。
もう一つは、監督自体に強大な権力があり、攻撃したら自分の身が危ない場合。(実際の監督業もこれに近い)
これがなにをしめすかというと、
経済学でも言われる、人間は合理的な判断をしない、って話である。
自分が気に食わなければ、成功とは逆の選択をする。
トランプが勝つ理由も同じ理屈ですね。
そんな訳でキラキラ監督とは程遠い現状をみながら、考えると。
外から見て良さげに見える仕事ほど、こういう「実際には全く違う壮絶にめんどくさい部分」
いわば税金的なものが高いなぁと思うんですよね。
弁護士なんて犯罪者と人のトラブルで稼いでる仕事だし、医者だって、困ったり大変な目を見てるわけですしそういうところがある。
あたりまえだけど、きっと仕事に限らずどんなことにも、そとからみたらよさそうなことにほど、高い税金が課せられてるっていうのはあるんじゃないだろうかなぁ、と。
私は日ごろ来世はバッタになりたいなどと言ってるけど、バッタもバッタで、自由や孤独という権利のために、きっと私が思いもよらぬ人生の税金を払ってるのかもしれない。
no 税金 no life
逆を言うと、「この人さえいなければいいのに」「これさえなければいいのに」って思うこと、人生にはよくあるけど、「まぁどんなことにも税金が課せられるもの」だと思えば、しゃあない、って気持ちにもなるよね。
(パワハラみたいな税金が高すぎる国はさすがにやばいから早く逃げた方がいいと思うけど)
経験上、まじで何も税金払ってないようなこの世の春を極めた時は、大体その後、たっかい追徴課税払わされてる時多いし、むしろ税金払ってるくらいが人生健全なのかもしれない。
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