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honjitu no hirose

広瀬ヒロ

虚空に向かい思考を吐露して17年。 伴侶は孤独、幼なじみは希死念慮、命を支える偉大な信仰、降谷零。 自己葛藤から抜け出せない永遠のモラトリアム中年。引き続き、七転八倒をお楽しみください。

志(こころざし)について


仕事中よく「幸福な王子」の話を思い出すようになって。

皆さんご存知、ツバメに頼んで貧しい人に自分の宝石を分け与え何も無くなり、そのたもとでツバメが死ぬ話。

なぜ仕事中に思い出すかと言うと、他者のために陰ながら頑張ってた人が助けてやった本人から虐げられるという新しいタイプの地獄を目にしたんですよ。

なんでこんなことが起きたかと言うと、助けられた側と助けた側の能力に差がありすぎて、助けられたことすら理解できないことが原因。
助けた側は元々紳士で、恩着せがましく「やったからね!」って言わない人なのでそれがさらに仇になってしまいまして。


しかも助けられた側から見ると、助けた側は何もしてない人のように見えてしまうため「自分こんなに頑張って色々やってるのにあの人何もやってなくね?」となっているんですよね。

弊社の地獄っぷりは相変わらず絶好調!


そして、この事件のあと、陰ながらの人のために尽くすが周りから感謝されない、という点で同じ構造の幸福の王子のことを思いだし「そういえば幸福の王子って、結局どんなオチだったっけ?」と思ったんですよ。
王子の利他の善行は、どのようにして報われたのかな?と。

調べたところ「ツバメは死に、王子像はリサイクルの為溶かされたが心臓の鉛だけは溶けず、心臓は燕の魂と一緒に天に召されました」というオチでした。

神の救済オチ。

うーん。
このオチは、逆を返すと「王子の報われない善行は、神の救済という最強キラカードがなかったら、ほんとにかわいそうで救いもない話」と暗に言ってしまってないですかね?


そして、もし神がいて救済されるっていうのが事実だとしても。

現代に生きる人間に「死後に救済されるから、それまで報われなくてもマジで頑張れ」というのは、あまりに残酷すぎやしないか。
ゴールが遠すぎるよ!


紳士的に周りを助けた会社の人の行動は、やはり報われないのだろうか。
やるべきでなかったのだろうか。



この件、自分の中でも答えが出ずにしばらくもやもやしていたんですが。


そんな時、友達がこんな本を見せてくれまして。




突然のナショナリズム!!!


戦時中というのは、それこそ国家のために死んだ人が沢山いたわけです。
もう敗戦も濃厚ななか、現場の軍人がどういう覚悟で死んでいったか。

これが特攻でも玉砕でも、将校も一兵卒も関係なく大体おなじ。

「(親や妻や子供がいる)本土を守る」


1944年終わり頃はもう本土決戦間近と言われてて
「本土を守る」
というのも無理なのではというのもうすうす見えてるなかで
「守ることは出来ないかもしれないが、それなら1日でも長く、この命を使って本土決戦の戦火から守ってやりたい」
というそういうギリギリの願いなんですよね。

究極の利他です。


しかし、見方をかえるとそういう考えって
「国が戦争をした中で巻き込まれた自分をどう落とし所をつけるか」
という果てに生まれただけじゃん、って思うんです。
つまり、「自分ではどうしようもない国という重し」がなかったら、そこまで崇高な利他の精神が芽生えなかったのでは?
だとしたら、利他の精神が芽生えない世の中は、のびのび生きてるってことで、成長しないにせよ案外悪くないのでは?と思ったんです。


でもそうじゃない。

どんな状況だとしても、
「この状況でどう生きるか?何を果たしたいのか?
そのために何をすればいいのか?
考え、行動する活動すべて」
に価値があるのではないかと。
その活動=志こそが大事なのではないかと。


なぜその活動が大事なのか。
それは
「志には、その思い自体が未来や周囲を変えていく力」
があるんですよね。

戦地の人達は散った人は確かに「国のために死ぬ」という環境自体は変えられなかった。
けど、本を読みその思いに触れることで、
「そんなに思ってまで守ろうとしたものを、無下にしてはいけない」
という敬意を、70年を経ても抱かせることが出来る。

今のMEtooなんなのウーマンリブ的な運動もそうでしょう。
こんな世の中おかしい、変えなきゃいけないという志がみんなを動かす。
ただの「私がされて嫌なセクハラをわかって欲しい」だけではこうはならなかったはずです。



この本を少し見てから、幸福の王子のラストにつて理解出来るようになりまして。


王子は周りの貧しい人を見て「この人たちをなんとかするぞ」という志に則って行動した。

ツバメはその熱意を理解した。
「じゃあそれを叶えるために何が出来るだろう」と考え行動した。


その結果、貧しい人は救われた。

その時点でもう王子とツバメの「志」は達成されているんですよね。
だから、神の救済など、そもそもいらない。

王子の心臓が溶けずに残る、というラストも「肉体は死んでも志は後世に残る」という象徴なのかなと思いました。



余談ですけど。

志は自分のための志と人のための志があって。

自分のための志は、若い頃、自分の限界に全てを投資するのもとてもいいことだけど、それをずっとやるのって結構難しいんですよね。

以前田中みな実が
「自分で稼いで自分の好きなもの買って食べて。でも、それは何になるの?それで幸せなの?って自分に問いかけてしまう」
みたいなことを言っててわかるなぁと思いました。


一方人のための志は、そこに曇りがないか突きつけられる。
相手の為を思ったのに相手が全く感謝しなかったら?
そこで相手を恨んだとしたら、そもそも自分の志自体が本物ではなかったと、自分を恨むしかなくなってしまう。



でも人間、志がないと、人間としての有り様がどんどん狭くなっていくんですよ。

皆さんの会社にもいるんじゃないですかね。
仕事ができるかもしれないけど、思いやりがない人。心がない人。
なんでこんなことに…ってなってしまったおばさん。(わたしのことですが、結構みんなの周りにもいるのでは)
保身のために昨日まで舌打ちしてきたのに、今日は恥ずかしげもなくニコニコしてくるおじさん。
スッカスカの人たち。
そうなっていくんですね。


多分なんでもいいと思う。
親でも子供でも、パートナーでも、友達でも。
仕事ならお客さんでも部下でも。

志を持つって、あんまり今の日本で大事にされてないけど。

これってすごく大事なことなんじゃないかなと。

そんなことを考えさせられた今日この頃でした。




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