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honjitu no hirose

広瀬ヒロ

虚空に向かい思考を吐露して17年。 伴侶は孤独、幼なじみは希死念慮、命を支える偉大な信仰、降谷零。 自己葛藤から抜け出せない永遠のモラトリアム中年。引き続き、七転八倒をお楽しみください。

人に喜んでもらうということ。

最近、
人に喜んでもらうことが、
どういうことなのか理解できた。

この人に喜んでもらいたいし、
喜んでもらえたら、それでもう十分だ。
そういう感情を理解できた。

きっと、自分が今までしていたことは、
喜んでほしい、の真似事なのだと気が付いた。

好意のある人にはこうするものだという。
そういうポーズをずっとしていた。

だからずれてたことも多かったと思う。

本人を、本人が何を欲してるかを見ていないからね。


自分が、人に喜んでほしいと思うようになって、
今まで自分が受けてきた好意が、
どういう思いでされたものかハッキリとわかった。

頂いたもの、もらった言葉。

今までもうれしくはあったけれども。

でも今、自分が感じてる「好意のある人に喜んでほしい」というこの気持ちが、
こんな気持ちが、
ものや言葉に込められていたなんて。
思ってもみなかった。

人は、自分が体験した感情しか、受け取れない。

自分はこの、「人に喜んでもらいたい」という感情を知らなかった。

言葉ではわかっていたし、わかっているとおもっていたけど
ずっとわかってなかったのだ。



何年か前、ブログを通じていろんな人に会って、色々なものをいただいて。

自分はネット上では、なぜか畏敬の念を示してくださる方が多くて。

私など、野山に住む野良猫のようなものなのに。
それに違和感があった。

でも、喜んでほしいという気持ちは、その存在自体の肯定だ。

野良猫として、そこに存在することが嬉しい。

そういうことなのかと、今は思う。

気づくのに、何年もたってしまったけど。
本当にうれしいと、今更ながらに思う。




たとえば誰か人生に、嵐が吹き荒れているとき。

本当は。
嵐をしのぐためのテントをはることも。
嵐のない場所へ君を連れていくことも。
造作もないことだ。
自分には簡単に出来ることだ。



でも、そうじゃないのだろう。
君に喜んでもらうということは。

君が嵐で耐え抜くと決めているとき、
嵐の中、君のもとへかけつけて、温かいスープや、タオルを届ける。

他人ができることなんて、所詮そんな程度だ。


でも。
それでもし、かすかにでも心が凪ぐのなら。
嵐をしのぐテントよりも、君がそれを求めているのなら。

いくらでもそうしたい。


それが、
人を思うということなのだと。
人に喜んでもらうことなのだと。
知りました。





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