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honjitu no hirose

広瀬ヒロ

虚空に向かい思考を吐露して17年。 伴侶は孤独、幼なじみは希死念慮、命を支える偉大な信仰、降谷零。 自己葛藤から抜け出せない永遠のモラトリアム中年。引き続き、七転八倒をお楽しみください。

奇跡も魔法もないし不幸もない。


最近思うんですよね。

奇跡はないし。不幸もない。

そう見えるものは、
全部、自分の因果なんじゃないかなって。



例えば。




会社で不正がバレた時、上司に濡れ衣を着せられたとする。


不幸のように見てるけど。
じっさい不幸ですけど。

濡れ衣を着せられた人が、
日頃から面倒な仕事も一生懸命やるようなきちんとした人だったらどうでしょう。

「あの人がそんなことするなんて…?ほんとか?」
ってなると思うんですよね。
近しい人ほど。
真実を知って、ちょっと何とかしてあげられないかって、話にもなるでしょう。


一方、濡れ衣を着せられた人が、
何かにつけて人に文句言ってばっかりで仕事もいまいちだった場合。

会社で似たことあったんですが、面白いくらい誰もフォローしなかったんですよね。
本人は自分は悪くない助けてくださいって周りに言い出して、誰かどうにかしてくれよ、うるさいから…と思いましたけど、周りも何もせず。
ひでぇ話です。


生まれ持って体が弱いとか、濡れ衣を着せられてしまうというトラブル自体は避けられないと思うんです。

生きてる以上、そういうことはある。


でもその時、真摯に生きていれば、自然とそれに応じた未来を受け取るし、
不誠実に生きていれば、自然とそれに応じた未来を受け取る。




例はわかりやすい話だけど、たとえばお店で物を買って何か問題があった時、
道を聞いた時、
会社で話したことない人と話した時、
結構相手も足元を見てるんですよね。

話し方、姿勢、雰囲気。

そういう「とっさに取り繕えないもの」を人は感じとって、きちんとした人にはきちんとした対応するし、面倒な人にはそれなりの対応だったりするのかなぁって思うようになりました。




私は転職で周りにお世話になったこともおおく、ずっとそれを奇跡だと思っていたんですよね。
でも思い出すと、日々過去の自分が真摯に「周りの役に立とう」と生きて、その様子を見ててくれた人達なんですよね。

真摯にいきてる人しか、人が真摯に生きてることは見抜けない。
そして、そういう人はほんとに大事にしてくれる。


自分で自分のこと真摯って言うなよ、って思いますけど。
しかしいま、全然真摯に生きてないからこそ、なんで昔、うちに来ないかと声をかけてくれたのか理解できるようになったんですよね。

真摯に生きないって、すごい楽ですよ。
ほんと楽。
最高に楽です。

しかも、真摯に生きなくても別に困らない。
もしあるタイミングで真摯に生きてれば、とてもよいことがおこったとしても、「あなたこの時頑張ってれば1億貰えましたよ」って言われるわけでもないし、自分の機会損失に気づかないじゃないですか。

だから自分を改めようってなかなか思わないものです。

でも。

嬉しいことは、過去の自分の成果。

辛いことは、生きてると事故的に起きてしまうけど、でもそのあとどうなるかは、過去の自分の成果。

そうすると、未来を作るには、いつも真剣に生きる必要があるなぁと。

あたえられたことを、与えられた場所で、日々真剣に取り組むことが、自分の未来を作る。

自分すら想像しないような素晴らしい未来を、過去の自分が連れてきてくれる。

そう思うと、ダラダラ生きてるのって楽だけど、結局その程度の人生なんですよね。


ハッと気がついた、今日このごろでした。








広瀬ヒロ

好きなように書いています。

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