宗教法人ありがとうの会
もし、
「ありがとうと言うと運命が開けます」
「ありがとうと言うとねがいがかないます」
と言われたらどう思いますかね。
私はこういった宗教じみたありがとう啓蒙のことは、あまり興味がなくて。
だけど、最近この怪しい啓蒙がものすごくド正論なんだなって痛感する出来事がありました。
最近何故か、人に何かを提供することが続いて。
例えば。
仕事関係の商品をすごく安価に譲れる、とか。
プレミアチケットを余らせてる、とか。
「こういう用途でこの辺でいい店ない」って聞かれて、行ってよかった好きそうな店を何件か教えてあげる、とか。
ビジネスのことを相談されて、解決策を教える、とか。
こういう私のような「お得な人(メリットマン)」は、当然便利だから色んな人がそれを求めに来て、そのメリットをシェアします。
そうなると、メリットマンは、誰かになにかした時に「他人がそのメリットを受けた時の反応」をものすごく沢山見ることになるんですよね。
①喜んで喜んで何回もお礼を言って、こちらが恐縮するほどの人。
②すごく喜んでありがとう!と言ってくれる人。
③喜んでありがとう!と言ってくれる人。
④ありがとう!と言ってくれる人。
⑤よかった、やったーとは言うがありがとうは言わない人。
⑥何も反応なし。
大体このくらいのパターン。
①②はなにか御礼の品くれる人が多いです。
③④が普通で、⑤⑥はその人の口からありがとうという言葉を聞いたことない人が多い。5%位いる。
で、すごい面白いなぁと思うのは、こちらがやったことの内容によって、その人の感謝の度合いが変わることは、ほぼないんですよ。
たとえば、その人が命をかけた推しのライブチケット譲っても反応が①の人は、気に入るかどうかもわからない誕生日プレゼントあげた時の反応も①です。
やったことによって①と②、③と④とかででうろつくことはあるけど、「基本は①の人」とベースが決まってます。
メリットマンは、そもそもメリットを人にシェアするのが嫌いじゃないと思うんですよね。
私もやりたいからやってるだけです。
別に頭擦り付けて感謝してほしい訳でもない。
でも、自分がなにかする時にも、手間や時間は使っていて。
感謝のためにやってないですが、やっぱりそこを「ほんの少しの労力でも、わかってくれる人」は単純に嬉しいです。
①の人にあげる時だけ手間がかかるとしても、まぁいつもすごく喜んでくれるし。まいっかってなる。
⑤の人も欲しがってたけど、①の人にあげちゃおう。ってなる。
これが、ありがとうが運命を開くメカニズムなんだな。って思いました。
わかってみるとものすごく当たり前なんですけど。
やっぱり、お礼しすぎることってないんだなって。
最近私も③とか④になってた部分があるので、ちゃんとお礼するって大事だなって、その人の様子見て戒められました。
宗教法人ありがとうの会、今日の説法は以上となります。
ご清聴ありがとうございました。
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