優しさとは何なのか。
相談所の婚活って不思議なシステムで、
お見合いしてお互いOKだと、仮交際っていう何回かメールしたりご飯食べたりするお試し期間があり(一般の付き合う前みたいな感覚)、そこからもう一回相互確認があり、お互いOKだといわゆる交際になるんですけど。
この仮交際って言うのがすごい嫌なんですよねぇ。
相手はもちろん、私の気持ちをもりあげようとしてくるわけです。
でも、システム上その段階では複数の女性とやり取りしているため、他の女性にも間違いなく同じことをしている。
で、そうやってみんなにいい顔しながら一番いい人を選ぶわけです。
Aさん、Bさん、Cさん全員にいい顔して、あるタイミングでAさん以外をバッサリ切る、みたいなことをします。
そういうの踏まえて考えると、私に向けられる優しさとか配慮って、「相手に対して優しさを向けてるようで、実のことろ100%本人が自分の利益だけを考えた、エゴの塊」だよなぁ、というのをひしひしと感じます。
相談所はそこは「ドライに割り切りましょう」というシステムなので、そういうものなんですけど、そもそも相談所って異性関係の立ち回り上手くない人が多いので、「相手を思いやってる振りをして、本人は上手くやれてるつもりの顔をしてるけど自分のことだけ考えてる」のが露骨に見えてしまう時があるんですよねぇ。
本人たちは、そういう自分を、全く優しくない人間って気づいてるのかな、それとも自分のこと優しくて、私みたいな人間をつめたいって思うのだろうか。
気になるところではあります。
世の中の大半は「相手を思いやってる振りをして自分のことだけ考えてる」人が多いのではなかろうかなと思いますけど、 「相手を思いやってる振りをして自分のことだけ考えてる」人にもタイプあって。
一、自分の欺瞞に気づかず「自分は優しい人間」と自認してるタイプ。
(こう考えるとそこを見抜く力のない人間の方が圧倒的に幸せにいきられますよね…)
二、「自分は弱いから自分のこと以外知りません」と切り捨てて開き直る人。
※このタイプ、聞いてもないのになぜか宣言してくる人が多い…謎。
あたりはよく見るなって思う。
みなさんの周りにも、心当たりないですか?
何が言いたいかって、そういうの見てると、まぁ気持ちのいいものじゃないですよね。
そういうのが見えてしまう相談所活動って、なんだかんだ修羅の世界なので「ドブの中覗き込んででも結婚したい」人以外は、除きこまない方がいいなって思いました。笑
でも、悪いことばかりではなく、そういう人間の闇がチラつく前の段階の、初対面でただ知らない人とお茶して放談する、ってフェーズはかなり楽しいですよ。
元々話すの好きだし、人の話聞くのも面白いし、ライフワークにしたいくらい。
とはいえ。
「これ、全然結婚するビジョン湧かないわ。現実味が全然ない。」
ですけど。
全然、自分がどうなりたいかわかないんですよねぇ。
入会して人と合えば多少結婚したくなるかと思ったけどそんなことも無い。
そして、ビジョンを明確化できないものは10000%叶いません。
これはどんなことでもそう。
まだのらりくらり活動はしますけど、まぁムリやな~、という薄い絶望がこの身のまわりを漂っています。
しかし問題は、別のことろにもあって。
「かといって、このまま一人であと40年やっていくのも全く現実味がないんだよな。」
そう、一人で生きていくというのにも、ビジョンがない。
ついでに言うと、最近社会人になって初めて
「仕事に興味がわかない、家で寝てたい」
状態になって、仕事にも全くビジョンがない。
人生全部ノービジョン。
三十半ばになって突然の自分ロスト。
なんなんや、君は……。
何がしたいんかなぁ。
よく分からんなぁ。
ITマンは35歳くらいで突然キャリアドロップして世界一周とかしちゃう人、そこそこいるんですけど。
(これはITの世界の特定の職種は、大体しっかり働くと35歳でキャリアのてっぺんにまでたどり着く=キャリア的な意味でゴールしてしまい目標が消えちゃうことが起因してます)
最近その気持ちがめちゃくちゃにわかる今日この頃です。 ← pride is power 男尊女卑の文化にまみれて。 →