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幸福の話。

2020/ 03/ 22
よた日記
                 
年一ペースくらいで幸福の話書いてますけど…
好きなんですよね。
幸福について考えるのが。

というわけで、少し前から、
ひたすらに哲学書を読みまくっていまして。

なぜ、哲学書を読んだのか。

それは、私が考える「最も幸福な生き方」が
本当に幸福なのか、知りたかったからです。

有史以来数千年。
平凡な私の考えることなど、頭のいい誰かが先に考え、結論を出してるはず。
それなら、この生き方が本当に好いものなのか、実践前に本を読めば答えが書いてあるのではないか。
そう思いまして。


しかし、疑問を調べようにも、そもそも、その疑問が、倫理哲学の中でとき明かされているのかどうかもしらない。
そもそも、倫理って何…?
あまりのノーヒント展開に、最初に読んだのは、山川の倫理の教科書と、センター試験の倫理の本という始末でした。
そして、それを足がかりに色々な本を読み、数ヶ月後、ようやく、自分の幸福についての概念が述べられている本を発見しました。

これがこれ。




功利主義入門



この中で「消極的功利主義」という言葉が出てきます。

そもそも功利主義とは何かと言うと、社会のあるべき姿として「最大多数の最大幸福=トータルで見た時の幸福、メリット(功利)が最大化する方法を目指しましょう」という考え方です。

そこに消極的、がつくとどうなるかというと、

「幸福やメリットのことは一旦おいておき、不幸の方を限りなくゼロにすれば幸福になれるのでは?」

という考え方になる。

絵にするとこう。





なんで、消極的功利主義という生き方に興味を持ったかと言うと。
以前感じたこの経験が大きいです。



夢はかないます。
簡単です、そんなの。

それだけの、代償を払えば良いのです。
最悪のケースとして、病気になったり、精神が荒廃したり、友達がいなくなっても、恋人に見放されても、その夢をあきらめなければ良いんです。
そうすれば叶う。



この時思ったんですけど、幸福の追求(功利主義)って幸福のレベルをあげようとすればするほど「達成する過程で不幸ポイントも比例して増えてくな」って感じたんですよね。

つまり、実際はこうなのかなと。



消極的功利主義も、不幸をゼロにする過程で幸福ポイントが下がることもあるんですけど、幸福になるように資源をさくより、不幸→プラマイゼロにする方が、より効率的に幸福度が高まるのでは?と思いまして。

たとえば虐められて死ぬ不幸より、学校に行く幸福を諦めた方がいいし、
ご飯を食べるお金がない不幸より、金をかけて楽しく遊ぶことを諦める方がいいでしょう。



ここで、私の考える幸福の話に戻るのですが…
私が最初に考えた最も幸福な生き方は
「人間関係を全部たちきって引きこもる」
というのもの。

人間関係(というか人間自体)の疲弊が大きいため、これをゼロにしたら不幸度が下がり、幸福になるのでは?と考えました。

最近は、平日は仕事をし、土日はとにかくひたすら家にいる生活。
家での快適さに人生を極振りしてるので最近の定番は、家には花を飾り、料理したりお弁当作ったり、元気な時は、朝からスコーンを焼いてマリアージュフレールの紅茶を飲みながら、図書館でかりてきた本を読んだりとソロ充を満喫しています。

めちゃくちゃ笑ったのは、コロナ騒ぎで国があれこれ移動制限をかけたにもかかわらず
「私の生活、コロナ前と何も変わらない…こんなにみんなガッカリしてるのに…私の生活とは…?」
と言うね。

もはやゆるい独居房生活。
これが私の幸福です。

しかし、皆さん、こんな生活送りたいですか?

そんなの嫌って人が多いでしょうw

調べてみると、人間の幸福には、書いたような「功利主義的生き方(幸福の最大化に焦点を当てて生きる)」と「消極的功利主義(不幸の最小化に焦点を当てて生きる)」という基準の他に、

「主観的幸福」
「客観的幸福」

という概念があるようです。

私の主観的幸福である「隠居生活」は、「友達がいない」「恋人がいない」「孤独死」という客観的不幸三冠王を欲しいままにしているので、そう思うのも無理ありません。


主観的幸福が最大化される代わりに、客観的幸福を損ねる生き方がいいのか。
客観的幸福のために、主観的幸福を妥協する生き方がいいのか…


少し思うのは、「主観的幸福は客観的幸福側からこき下ろされがち」という風潮です。

よくテレビとかでも偉人を「孤独な芸術家」「科学者の不遇な晩年」と可哀想がったり、さらにリンカーンや野口英世などのように「周囲にヤバい人扱いされてた狂人、クズ」を「周囲に愛され尊敬された人」と、さも客観的幸福に恵まれたかのように、事実をねじ曲げることもよくあることです。

身近なところでいえば「結婚しない独身女に対する、社会的地位があれば世間から結婚せず趣味や仕事にいきることを『許される』風潮」なんかも同じかなと。
なぜ赤の他人から、人生を許されたり、許されなかったりしなくてはならいいのか。謎が深い。


客観的幸福に生きる人は、もしかしたら、主観的幸福に生きる人を『あんなのは幸福じゃない』『客観的幸福のほうがより優れている』と思わないと気が済まないのかな?と言う気すらします。

実際には「完璧な、全て手に入る幸福などない」という話でしかないのにね。

ちなみに倫理哲学では「個人の生き方は個人の自由にやってくれ」が基本なので、私の生きる「消極的功利主義&主観的幸福」の人生がいいかどうかまでは定義はされてませんでした。

えぇ~。



                         
                          

コメント

脂性肌の記事読ませて戴きました
私も同じ悩みがあり、似たような経過を辿っていました。。。石鹸は具体的に何を使っていらっしゃいますか?

オレイン酸よくないと分かっていながら、最近添加ではないのですが成分にモリンガ(オレイン酸)が入っている商品で角栓皮脂に効果あるものをおすすめされたので迷っています、、、。