エブリバディ コロナ YEAH... - -honjitu no hirose-
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エブリバディ コロナ YEAH...

2020/ 04/ 29
よた日記
                 

というわけで自粛生活いかがお過ごしでしょうか。
私は先月から在宅勤務になっていますけど、めっちゃくちゃ最高ですね。
正直、自分のような、緊急性のない産業に従事する社会の末端なんて、元から出社する意味がなかったわけです。

こういう生活をしてしまうと、なんで今まで、わざわざ8時に起きて、化粧をし、身だしなみを整え、会社まで行かなくてはならなかったんだという気すらします。
ビフォアコロナ時代は
「むしろこうやって毎朝出社させられる生活でなかったら私は速攻でダメになる」
と思っていましたが、定刻に仕事を始めること自体は変わらないので、その心配は杞憂でしたね。
在宅勤務の心配していたことは現実に起きず、出社のコストだけがゼロになったので、結果的にはいいことしかないです。

家の周りも交通量が減ってだいぶ静かですし、最寄り駅(山手線のマイナー駅)も、地方の中小都市の駅前くらいの閑散とした人出で、むしろ、今までが異常だったよな、と日々感じます。
意味が無い混乱を続けすぎてきた人類の愚かさに歯止めがかかって何よりです。

近況はそんなところとして。
定期ネタ、自己肯定なんですけど……。


最近、自己肯定(というか人間の認知)のことを考えていた時に、
「自己肯定界隈で最強の鉄板とされる「自分を大事にしましょう」って、やっぱり嘘じゃないか?」
と思いまして。

結構前からこの論説にモヤモヤしてたものの、うまく言語化できずにいたんですが。

そもそもの話、何で自己肯定が低くなったかって、周りから「そう言う扱いを受けた節があるから」ですよね。
自己肯定感が低い人で、「めっちゃ愛されてて、周りもみんな助けてくれるし、優しくて大好き!」なんて思ってる人いないと思います。

自己肯定感が低い理由は、明らかに他者との関係性の中で獲得してしまった価値観なわけです。
じゃあそこで、「自分を愛しましょう」と実践したとします。
この結果できる価値観は、「他人は自己を否定してくる世界だとしても、自分は自分を愛しているから大丈夫」という状態です。

今まで読んできた本はこの姿勢に則ったものが多かったんですが、
その考え方って「自分は自分を認めているのに、他人が自己を否定するのはなぜか?」という、自己と他者の反応の矛盾という疑問を無視してるんですよね。
なので、なんだかんだで長続きしなかったものが多いです。
過去の日記見ても自己暗示で自分を納得させてるようなフシがありますしね。

当たり前の話ですが、最初は良くても「どんなに自分を大事に思ってたって、周りからひどい扱い受けてたら大事に思えるわけないだろ」ってなります。
つまり、「他者から得られる自己肯定感」ぬきに、自愛って語れないんですよね。


しかし、「他者から得られる自己肯定感」って言うのがなかなか難しい。

以前話した真の利他は存在しないという話もそうで、
「結局のところ、他者は自分の利益のために相手を認めているだけ」であって、それに気づいてしまった人は、いつまで経っても他者から自己肯定感を得ることはできないんですよね。

カウンセリングの人は、金を払ってるから(金銭授受)相手にしてくれるわけです。
褒めてくれる人は、自分が何かをしたから(労働の対価)褒めてくれるわけです。

そういう中から出てきた誉め言葉を信じられる単純な人はいいでしょうが、そんな単純な人は、そもそも、自己肯定感の問題を抱えないような気もします。





自己肯定感は、他者との関係ぬきには語れないようだが、そこから得られる肯定感は単なる「労働の対価(優しくした見返り)」でしかなく、自己肯定感を高めるための「存在の肯定」とは似て非なるもの。
では、他者との関係から得られる「存在の肯定」なんてあるのか。

このことが、しばらく前から気になっていました。
で、「他者から得られる欺瞞的じゃない自己肯定感」は世の中にはないと思ってたんですが……
偶然見つけまして。

それがこれ。




この人。太った人向けのファッション雑誌のモデルさんのようなのですが、デブは悪という風評と戦ってるんですよね。
で、自分や周りに向けて「別にいいじゃん」をひたすら投げつけています。

別にこの人、私個人を励ましてるわけじゃないんですよ。
しかも、私はデブキャラでも、過食症でもないので、共感性ゼロです。

でも、彼女からの情報を通じて、私は確実に自己肯定感が高まります。なぜか。




世の中って儲けのためや、自分の都合よく相手を操るために「人の自己肯定感を下げる」手法、ものすごい色んな所にあふれてて、それに気づかせるのが、この人めちゃくちゃうまいんですよね。
自分も、気づかないうちに、他者が都合よくしたいだけの価値観に染められていたんだなってしみじみと思いました。



そして、これを見た時ハッとしまして。

自愛系、自己肯定感を高める系でも「嫌な人から距離を置く」って100000万回くらい言われてますけど、そんなこと出来たらとっくに治ってるんですよね。
それが出来ないから低いんです。
なんでか。
「嫌な人が周りにいるから」自己肯定感が低いんじゃないんですよ。
「過去の経験から誰が嫌な人なのかわからないほど、対人センサーがぶっ壊れてる」
から、自己肯定感が低いじゃないかなと。

言い換えれば、正しい「他者から得られる自己肯定を高める取り組み」っていうのは、実は「自己肯定感をどう高めるか」ではなく、「どういう風にして社会や周りの人間が自分の自己肯定感を下げようとするか手法を知る(その結果、自己肯定感が高まる)」という話なのか、と思いました。




自己肯定間の低い人っていうのは、「人を信じられない人」「前向きじゃない人」などではなく、単に「自己肯定感を低くさせることが人生に溢れすぎた結果、何が自己肯定感を下げることなのかすらわからなくなってしまった人」なのでしょう。
方位磁石の壊れたコンパスみたいな。

壊れたコンパスはしょうがないので、過去に方位磁石が壊れたけど直したことがある人を探して、そう言う人を観察することで、磁石の壊れも回復するのでは。
そんなことを思った今日この頃です。


                         
                 

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