振り返れば、ノンセクシャル - -honjitu no hirose-
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振り返れば、ノンセクシャル

2020/ 06/ 21
よた日記
                 
センシティブな話になるし、書こうかどうか迷ったのですが、ここ数年おりにふれ書いてきたことの最終的な結論の意味もあるし、こうしてインターネットの海に流すことで誰かの慰めになることもあるかもしれないから、書いてみようと思います。



私、コロナ禍という今までの人生規模、最長最高の夏休みをいただき、ある実験をしたんですね。

それは「老後、完全に社会との交流がなくなり、一人になるはずなので、その時に孤独が原因で発狂しないか、コロナ禍に乗じて予行演習をして、問題の有無を調べておく。」というもの。

3月下旬から実験をはじめ、世の中の自粛ムードをいいことに、対人接触をほぼしない生活を続けて約2か月。
5月の末の自粛期間も終わるころ、私はあるひとつ結論を導き出しました。

「自分は全く困らないしストレスもないけど、たぶん、他人から見た時、頭がどんどんおかしくなっていってる。」

他者のいない世界に慣れすぎて、自己中心性が増長しまくり、元々低い社会適応力がゼロになってしまいまして。
あと会話が圧倒的に下手になった。やばい。

コロナ社会、死にたみが圧倒的に減った点では本当に良かったんですけど……
このままでは「死にたみは減るが、その前に人格問題で会社的に行き詰まるな」と悟りまして。

で、どうしたらいいのか。
簡単ですが、解決策は、ひとつなんですよね。

人間と折り合いをつけることを身につける。
他者と近距離で生活なりをして。

ウッ……それだけは………。


しかし、考えても見たら、「人間関係を避けたがるのか」あんまりよく分かってませんでした。
パートナーという意味では、パートナーは欲しいけど、自分にとって何がパートナーと生きる上で最重要項目なのか、未だにわかっていない。

ただこれ、もう何年も分からないままなので一生このままなんじゃないかなぁ…。
そんなことを思っていたおり、自分の日記を読み返してみたのですが。



「普通の女性って『この周りに侍ってくる男たちの投資は、女性器を得るためのの投資であり、究極いえば人間的な関心はそこにない 』ということを、あんまり気にしてないよな~」
(略)
そもそも、男性が奢るのは、主にゴールに性行為があるからですよね。
奢るのも、話を聞くのも、優しくするのも、マメに連絡するのも、全てはそのゴールのためです。
もし相手に女性器が着いてなかったら、男性は奢るんでしょうか。
もし相手に女性器が着いてなかったら、男性は優しくするんでしょうか。
もし相手に女性器が着いてなかったら、男性は会いたいと思うんでしょうか。
もし相手に女性器が着いてなかったら、男性は女性の存在に興味を持つのでしょうか。

答えはNOで、しかしコミュニケーション上、女性器という目的のためにYESの顔をするから、そこに妙な違和感が生まれます。

私はそれに違和感を覚えるのですが、世の中の人は、よくそれを気にしないよなぁ~と不思議に思う事がママあります。


出典


これを読んだ時、自分は「性行為と人間関係の解釈が一般とズレてるんでは?」と、思いまして。
たぶん、生きてきてずっと。

で、そこを切り口に色々調べるうちに、ノンセクシャルという言葉を知ったんですよね。

ノンセクシャルとは以下の通り。

非性愛(ひせいあい)とは、他者に対しての恋愛感情は有り得たとしても、恒久的に他人への性的欲求を持たないことをいう。 非性愛の性質を持っている人のことを非性愛者、またはノンセクシュアルという。略称としてノンセクともいう。

ノンセクシュアル(非性愛者)とは、他者に対しての恋愛感情は有り得たとしても、恒常的に性的欲求を持たない人、または性的接触を求める欲求がない人のことをさす。つまり、異性、同性、両性、全性に対して恋愛感情を抱く場合でも、相手に性的欲求を向けない場合、また、他者との精神的な恋愛関係のみを望む者もノンセクシュアルということになる。その場合、「異性愛者で非性愛者」「同性愛者で非性愛者」「両性愛者で非性愛者」「全性愛者で非性愛者」などという。

「他者に対して恒常的に恋愛感情も性的欲求も抱かない」人のことはAセクシュアルといい、Aセクシュアルとノンセクシュアルは、同一ではない。ノンセクシュアルの中でさらに恋愛感情さえも持たない人がAセクシュアルである。


出典


正確には、言葉自体は3~4年前には知っていたのですが、当時は、「自分がまさにノンセクシャルである」とまでは感じなかったです。

というのも、当時、ノンセクシャルという言葉は、レイプや児童虐待、セクハラなどが原因で抵抗がある人、生まれつき性欲がない人、性行為自体が完全に無理な人など「はっきりと意思のある嫌悪型」がノンセクシャルを自称していて、
自分のような「理由はないけど興味のない無関心型」は、ノンセクシャルにはっきり定義されてなかったからなんです。

さらに無関心型は、興味がなくても、周りがあたり前のようにやってると、普通にそれが出来るんですよね。

んなことあるのかいって話ですけど、例えば、生まれた時から全ての人がサッカーファンの街で産まれたら、「サッカーしない?」って言われて、とりあえず、やりますよね。
興味なくても。
で、そこでサッカーやると吐き気がするという人は、サッカー嫌い(性嫌悪)になるのでしょうが、サッカーに対して無関心すぎると、好きでもないけど、逆らってやらない程でもないので、普通にサッカーするようになります。
器用さがあれば、好きでなくてもサッカーはできますし、ルールも覚えますから、まさか誰も、本人さえ、サッカーに興味が無いなんて思いません。

しかし、それも高頻度になってくると、さすがに状況が変わります。
面倒くさくなってくるんですよね。
興味ないから。
レベルで言うと宿題みたいなものです。
やらないと周りが色々言うから仕方なくやる物、みたいな。


だから私から見ると、なんでお前たちそんなにサッカー好きなんだよって話なんですよね。
世間は兎にも角にもサッカーサッカー。

愛があるから性行為したいなんていうけど、私から見たら、性欲を恋や愛と勘違いしている人もとても多いです。
性欲に流され、人のご家庭や関係ぶち壊しておいてそれを愛と思える神経も、脳みそにミジンコ詰まってるの…?て感じです。
人間の三大欲求なんて言うけど、性欲って、実際にはただの排泄欲なわけですからね。



というわけで…話戻すと、結婚が嫌なのではなく結婚に着いてくる性生活が嫌なんだ。と思ってたことがわかった、という話でした。
ただ、性生活をしないというだけで離婚が認められる世の中ですから、ニアリーイコールで結婚も無理ですね。
今後、もし一人以外の人生を模索するなら、ルームシェアとかしかないでしょう。


こんな普通のことが分かるまで10年以上かかるなんて。

しかし、この程度のことで?と思いますが、これにたどり着いてから、非常にメンタル面で楽になりました。
言葉にするのが難しいのですが、始めて、世界と自分の間の辻褄が取れたような気がします。

生きてきて、ずっと世界と自分の間にビニール膜があって、自分は生きているようで死んでいるという感じがあって、それが希死念慮に繋がっていたのですが、それもだいぶ和らぎました。
アイデンティティが統合されるというのは、こういうことかと、非常に感動しました。
翻って、自己認識と無我の潜在認識がずれているというのは、たとえそれが現実世界で生きる上で致命的な問題でなくても、無意識の、相当に強い苦痛を与えるものなのでしょう。

そう言うわけで、皆様初めまして。
ノンセクシャルの広瀬です。
今後ともよろしくお願いします。




追記
その後、アセクシャルやノンセクシャルについて調べてるんですけど、もしかしたらアセクシャル、ノンセクシャルと自称してないだけでそういう傾向の強い人って多いんじゃ…という気がしています。
私も言葉を知らなかったので今までは「不思議な人」と思ってたんですけど、「見た目が悪くないし、メンタル的にも異性に卑屈でないのに、パートナーがいる気配もないし、全く異性を求める匂い、性の匂いがしない人」っていません?まわりに。
能町みね子なんか、まさにそれなんですけど、調べてみると、自称してないものの、わかりみしかないコラムが。
https://r25.jp/article/799139104995633692


                         
                         

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