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honjitu no hirose

虚空に向かい思考を吐露して17年。 伴侶は孤独、幼なじみは希死念慮、命を支える偉大な信仰、降谷零。 自己葛藤から抜け出せない永遠のモラトリアム中年。引き続き、七転八倒をお楽しみください。
広瀬ヒロ

コメントありがとうございます。ありがたく拝見しています!

山姥の話と鈍感な人間の話


前にも話したが、我が家は図書館が近い。
この家に住む時も、「図書館が異様に近い」というのは、決定打のひとつだったが、住んでみると想像以上に図書館を使い倒すようになった。
なんといっても23区の図書館は蔵書量がすごい。それに尽きる。別に埼玉県の悪口ではない。

日頃から気になった本を手当たり次第に図書館で予約してるため、数ヶ月の予約待ち後、忘れた頃に本が手配されることも多く、本を手にした時には「なんでこの本予約したんだろう?」と思うこともしばしばだ。

先日も、まさにそんな本が届いた。




見るからに下品な本だ。
ちなみに、この本と同時に借りた本は、老後の暮らしに向け手配した

だった。

予約回覧で回ってきただけなので、このふたつが同時に揃ったのは偶然なのだが、この二冊を見比べるうち、
「この本をセットで借りるのは、山姥の妖怪位ではなかろうか。
きっと山奥で自作の小屋を立て、里山に降りては、男を品定めし、新月の晩に見初めた男を山へ攫うのだ。恐ろしい妖怪だ。」
という、いもしない妖怪を想像して悲しい気持ちになった。


きっとその妖怪は、古くから、若い男を攫っては頭から貪り喰らう化け物として、里山では恐れられていたに違いない。

そして、その妖怪に見初められた村の男は、野良仕事の合間、幼なじみの与兵衛どんが、休憩のお茶を取りに行き、一人になった一瞬の隙に、薮からでてきた化け物に攫わてしまうのだ。
茶を持って戻ってきた与兵衛どんは、男が消え、かわりに化け物が落としたと思われる、無数のドッグタグと手垢の着いた「男の選び方大全」があるのを見つけて、腰を抜かしたに違いない。
そして、村に戻り村人たちに「今頃、あいつは化け物に食べられちまったに違いねぇ、おらが目を離したばかりに」とわんわん泣いて、謝ったことだろう。
攫われた男も、山姥に担がれながら、自分が山奥で喰われるものだと、震えていたはずだ。
しかし、たどり着いた妖怪の家は「小屋を作る本 2019-2020」を読んで作られた、2x4材(ツーバイフォー)の高床、デッキ付きの立派な小屋で、男は驚いたにちがいない。
妖怪に部屋に招き入れられ、恐る恐る中に入れば、その小屋はグラスファイバーの断熱材が嵌められた暖かな作りで、
端材で作られたちゃぶ台には、山で取ってきた獣の肉、蓮の葉のコップに入れた沢の綺麗な水、くるみや栃の実などのご馳走がならび、山姥は、妖怪なりの心づくしで、攫ってきた村の男を迎えるのだ。
そして、その日の夜遅く、寝ている男の背後で妖怪が唸り声をあげる気配を感じ、遂にこれまでか…と、男が拳を握りしめると、化け物は、そっと、男のそばに山奥でつんできた月下美人の花を手向けるのだ。
一年に一回、一晩だけ暗闇の中で花を咲かせる月下美人。
その美しさは、里山で恐れられた化け物が、山奥の暗闇の中で、ひっそりと見せるいじらしさにも似ていて、男の胸を打ったに違いない。

ただ、最終的には、化け物は村の猟師に殺される。
こういうタイプの化け物は、最後は猟師に殺されると相場が決まっているのだ。
美女と野獣は成立するが、山奥に住む女の化け物と攫ってきた男は成立しない。


話は戻るが、なぜ「男の選び方大全」を読もうと思ったかと言うと、底抜けにゲスいタイトルなのに、なぜかAmazonの評価が4.5だったからだ。
Amazonの本の評価4.5はほぼ確実に裏切らない。大体何読んでも面白いのが4.5だ。しかし、こんな下世話な本で良書なんてあるのか?
それが気になったきっかけだったと思う。

ちなみに、中身は、著者(日頃は男性起業家として働く女装癖のあるXジェンダーのバイ・セクシャル)が、男性視点からも女性の視点からも異性を経験してきた経験談をベースに、男性の性格や特性を論じる、というもの。
人格の癖から人間の生い立ちや特性を推察し「こういう性格の人には、パートナーとしてどういう人間が向いてるか?上手くやっていく上でのポイントはなにか?」を論じる本なので、男女関係なく当てはまる話も多い。
実際、自分のこともしっかり書いてあって爆笑した。



嘘みたいだが、この収入30万、家賃20万という記載。
本当に私の生活、額面こそ違えど、大体の比率は、これの通りなのだ。
ローンの繰り上げ返済をしている関係で、今の手取りに占める家賃の割合はなんと64%と、とんでもない数字になっている。

ちなみに著者からは
「それだけ払うほど家がめちゃくちゃに楽しいと思ってる男ならありだけど、私は相手には選ばないかな(意訳)」
と冷ややかに評されておりました。
うるせぇ。
お家が楽しいんだよ。

そして、読んでいく中で面白いなと思った項目が「ジャンクフードを好む男」の一節。

味覚が鈍い男は、全ての感覚が鈍い。



この一説を読んで思い出したことがあるのだが…。

ある時友達から、世の中には

・場が楽しければ、食べたものが美味しく感じるし、場が悪ければ美味しく感じない味覚相対評価派

・場の楽しさと味には相関がない味覚絶対評価派

の二通りの人間がいる、という話を聞かされたのだ。
今まで彼女が聞いた感じでは、中間というのがなく、概ね前者か後者にはっきりわかれているそう。
私は後者なのだが、その話を聞いて、そもそも世の中に前者がいるということに相当驚いた。
で、自分もこのことに興味を示し、色々な友人に、どちらの価値観かきいて回るようになったのだが、ある時、ある知人から興味深いことを言われた。

「っていうか、その相対評価派の人って、単純に、感覚が鈍いだけじゃないですか?」

言われた時は、いやそんなまさか…と思ったのだが、その後、それまでの自己調査で「相対評価派」と言った人の性格を思い出すと、確かにそうなのだ。


しかし、味覚が鋭い男は全ての感覚が敏感、だとしたら、かの有名な芸能人の多目的トイレさんはどうなのだろう。
彼はグルメで有名だが、多目的トイレで性行為をするなんて、ぶっ飛んだ感覚の鈍さを持っていなくてはできないように見える。

この矛盾はなんなのだろうか?

不思議に思い、彼のグルメ的な価値観を少し調べて納得いったのだが、彼のグルメの評価は、味や感性、表現に対する評価ではない。
「値段が高い、予約が取れない、星付きの店、珍しい素材、高価な素材、自分をどのようにもてなすか」
そういったわかりやすい看板を価値と判断してるようなのだ。

これは果たして、味覚が鋭い男と言えるのだろうか?


飲食に限らず、あらゆる物事が提供する価値の本質(五感、雰囲気、思いや信念)を感じる感性がなく、かわりに
「それをコミュニケーションのツールや、マウンティングを取るネタにする」
ことが物事の価値と思ってる人というのは、少なくなくないように思う。

これは私が美術館でよく感じることなのだが、多くの美術展では、本当に絵を鑑賞してる人は全体の2割ほどしかなく、残りの8割は絵を見ていない。
何をしてるかと言うと、誰もが知る有名な画家の絵を見た優越感を得たり、一緒に見たよねという思い出を得たり、美術館でデートしたという知的なセルフイメージを得たり、同行者に自分の知識を披露するエクスタシーを得ているのだ。
つまるところ、絵画展で他者へのアピールや繋がり(コミュニケーションのネタ)を拾いに行ってるだけで、芸術そのものは求めてない。


なぜそういうことが起きるかといえば、
感性のある人間は、物事から得た情報を内的に昇華して、自己内で体験化できる反面、
鈍い人間は、情報を内的に昇華できないため、物事を一人では体験化出来ないのだろう。

そして、それを体験化するのに、他者の存在(コミュニケーション)が必要なのだ。

赤ちゃんを思い浮かべるとわかりやすい。
赤ちゃんは感情の内的昇華を出来るほど脳が発達していない。
お菓子を食べて快の感情を表現すると、父親や母親が「お菓子美味しいね」とほほ笑みかける。
これにより「これはいい出来事なんだ」と認知され、感情が体験化される。

もし赤ちゃんが感情の内的昇華をできるらとしたら、お菓子を食べた瞬間に黙りこくり、心配する親を「少し黙ってくれないか、今味わっているんだ」と制するだろう。
そんな赤ちゃん嫌だが。

あくまで想像だが、「不味くても楽しければ美味しくなる」という言葉から想像する限り、こういう理屈ではなかろうか。



とはいえ、鈍い人達が悪いかと言うとそうでも無い。
私のお世話になってる美術展を経済的に支えているのは、他でもない8割の鈍い人間だからだ。

これからも、鈍い人には、何かを楽しむには他者が必要、という特性を活かして、経済を回して欲しいと思う。
(余談だが、コロナで潰れた店の大半はこういう人達が使ってた店なのだろうなと感じる。)


以上、小屋を作る本と男漁りの本を読んでの、謎の小話と、感性についての悪態考察でした。





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