人の孤独死を笑うな
最近よく、孤独死のニュースやってるじゃないですか。
あれ、見てて不思議なんですけど、なんのためにやってるんでしょうね。
というのも、だいたいあの記事って遺品整理業者やノンフィクション作家が書いてて、記事の主旨が
「いかに凄惨で哀れな死だったか」
「どれだけ絶対自分はそうなりたくないと恐怖を煽るか」
なんですよね。
哀れな想像を掻き立てるようなストーリーで、故人のことを書き連ねる記事を見る度、
「名も知らぬ腐乱死体を、つつき回して得る小銭は嬉しいか?」
と思わずにはいられません。
人の苦難を無理やり感動するいい話に仕立て上げるメディアのやり方を「感動ポルノ」と呼びますが、いうなればこちらは「悲劇ポルノ」と言った所でしょうか。
たとえ故人が、1人でも毎日楽しく、色んなことに全力をだしきって生きたとしても、死の間際、体調が悪く家が荒廃してたという一点で、何も知らない人から「たった一人で、こんなに孤独に可哀想に死んだ哀れな老人」とか記事にされたら、どうでしょう。
それ以前に、知りもしない他人の死や遺品から生前を勝手に想像して、妄想で暴露するって、相当な冒涜ですよ。
死人に口なしとはよく言ったものです。
たしかに、本当に記事の書くようなストーリーどおり、個人の望まぬところでやむにやまれず独居老人になってしまい、なくなる人もいるでしょう。
高齢の親が自宅で亡くなり、その後、知的障害を持った子供も自宅で死んでしまったなどの例もあるそうで、そういう人は、福祉の力で何とかしなくては行けないと思います。
でも、その一方で「選択的孤独死」を望んでそうなった人もいるのではないか。
ということを最近よく考えています。
つまり、孤独死することを、百も承知で独居老人決め込んでる人です。
こういう人は世の中と関わってるほど暇じゃないので、インターネットの世界にもいないし、 メディアに出てこず、世間的には存在しないことになってますけど、色んな本読んでると、いるところにはいるんですよね。
画家とか、山暮らし系の人もそういう人多いです。
かくいう、私も、その選択的孤独死希望者です。
死ぬ時くらい、1人でひっそりやらせてくれや…と心から思っています。
風呂場でドロドロに溶けて発見されても、まぁ別にいいかな、と思っていますね。
(個人としては良くても、マンションに迷惑かかるので極力避けますが)
なんで孤独死してもいいかというと、人生で大事なのは、死に様よりも、生きてる中での日々の積み重ねだとおもっているからです。
日々「今日を未来永劫繰り返すとしても、悔いのない一日を過ごしたか?」自問自答し…と言うと重苦しいですが。
ダラダラしてる日もシャキッとしてる日も、その日その日自分の力の出来る限りで真摯に生きた「人生の厚さ」の前では、たった一瞬の出来事である「死の間際の顛末」なんて、ワタボコリのようなものでしょう。
そんなものでは、人の人生の価値はゆらがないです。
思うに、人が死に様にこだわるのは、フィクションの影響ではないかと思います。
フィクションは現実とは違い「死に様こそが生き様」です。
偉大な老賢者は、多くの人に囲まれ静かに無くなるし、心優しき戦士は、仲間を守るため、激闘の果てに命を散らします。
死の間際を操作できるからこそ、死に様の美しさによって生き様を表現出来る。
しかし、現実では、人は死の間際を選べません。
そして、生き様と死に様にはなんの関係もありません。
だからこそ、どう死んだか、死んだ後どうなったかじゃなくて、どう生きたのか、が大事なのだろうと思います。
というわけで、孤独死について書いたはずが、生き方の話になりました。
生きることは、死ぬこととはよく言ったものですね。
今日はここまで。
早いもので、もう仕事納めですね。
コロナのあれこれで本当に今年1年の記憶がありません。
寒い日が続きますが、皆さんもご自愛ください。
良いお年を。
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追記
秀逸なコメントを頂きました。
死の間際を選べないのだから、あえて孤独死を選ぶとか、生きているうちはまだ決めなくてもよいような気がします。
死を選ぶ、のではなく、孤独に生きていくことを選ぶということですね。
たしかに。
これだけ孤独死するぞ!と決め込んでいても、車に轢かれて多くの人に囲まれながら死ぬこともあるでしょう。
入院してそのまま病死の可能性も高いですし。
そう考えると、どういうふうに死ぬのか、楽しみでもありますね。
来年も楽しく孤独に生きるぞ!
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1 Comments
こんばんは、広瀬さんのブログ、興味深く拝見させていただいています。
死の間際を選べないのだから、あえて孤独死を選ぶとか、
生きているうちはまだ決めなくてもよいような気がします。
死を選ぶ、のではなく、孤独に生きていくことを選ぶということですね。
良いお年をお迎えください~
死の間際を選べないのだから、あえて孤独死を選ぶとか、
生きているうちはまだ決めなくてもよいような気がします。
死を選ぶ、のではなく、孤独に生きていくことを選ぶということですね。
良いお年をお迎えください~