どうもこんばんは、野犬です。
最近、5年くらいかけてやってた仕事が終了してやれやれと思ったところ、また新規事業の案件を振られました。
というか、その5年くらいかけてやってた仕事自体も新規事業だし、その前も新規事業案件。
振り返ると、なんかもうずっと新規事業ばっかりやってます。
別に望んだ訳では無いんですが、言い逃れできないレベルで「新規事業担当の人」になってしまいました。
歳も歳なので、もうこのキャリアで生きていくしかありません。ヒェッ
で、なんとなく世の中の新規事業担当のことをネットで調べてみたんですが、「僕、私、新規事業やってます!!!」みたいなキラキラした記事ばっかり出てきて、現実との乖離に呆然としまして。
なんでかといえば、そういう新規事業にキラキラ夢見てるパーソンの一定数が
「開発ベンダーが悪い、案件の条件が悪い、ステークスホルダーが悪い、運が悪い」
みたいなこと言って逃げるクソダサ事案を百万回見てるからです。
あとは、本人はうまくいったと言ってても、色んなところで話を聞くと、殺したろか位恨みを買ってるパターンか。
世の中が想像する新規事業担当者のような、みんなを巻き込んでワイワイ楽しくポジティブ!みたいな人は、往々にして都合の悪いことへの自己の正当化に対してもポジティブです。
もう一種の様式美みたいなところさえある。
(そういうキラキラパーソンが逃げたあとのぐちゃぐちゃな案件に火消しで入れられた事が何回かあるので恨みが深い。)
じゃあ、実際の新規事業担当の実態って、どういうものなのよ?と言う話なんですが。
最近、この歳になって色んな新規事業やって思うのは
「新規事業担当って野犬みたいなもんだよなぁ…。腐りかけの肉を漁ってる野犬。」
って所なんですよね…
どういうことかというと、会社から見た時、新規事業って博打なので、大事な血統書付きの可愛いわんちゃん(プロパー社員)にはさせたくないわけです。
かたや、社員個人から見ても、新規事業は難易度爆高&多産多死&人間関係や利害関係の状況によっては社内でつるし上げられる可能性も孕んでたりと、「怪しげな肉」なことは否めません。
なので、わざわざそんな腐りかけの肉食べるのは、普通の肉にありつけないポジションにいる野犬、もしくは腐りかけの肉が好きな変な野犬位なんですよ。
なんもキラキラしてない。
そんなものです。
ただ、野犬も野犬で、腐ってない肉あげるから、血統書付きのわんちゃんと一緒にお行儀良くしなさいと言われても、性格的に出来ないですし、
腐りかけの肉を食べてても元気にやっていられる適性を持っているのも確かで、適材適所ではあるんですけどね。
新規事業何件かやってて、上手い仕事するなという人を見てると、
人当たりがいいけど、内面的にはシニカルで、
冷めているのに、私的な夢を信じるひたむきさがあり、
有象無象の清濁併せ呑みながらも、我が強い、
そういうアンビバレントさが内面で融合したような、独特な人が多いなと思います。
わかりやすい感じの人ってそう多くないです。
この話特にオチはないんですけど。
何が言いたいかと言うと、これに限らず、世の中、外からのイメージと中の実態が、かけはなれてることってよくあるよなぁ~と。
なんでなんでしょうね。
高須クリニックの院長は医系の家系らしいんですが、子供の頃、医師の祖母から「医者は人殺しの免許だ」と言われて育ったそうです。
世の中医師といえばエリート花形職業ですけど、言われてみるとその通りだと思います。
弁護士だって、キラキラしてる風に見られるけど、実際には人の揉め事でご飯食べてる仕事ですし。
もっと身近なところで言うと、子供の頃は、社長というのは、人格的にも経営手腕的にも優れた人がなると思ってましたが、歳をとるにつれ全くそうじゃないというのは酷く驚きました。
一般企業では、優秀な人はリスクの高い仕事(=失脚しやすい仕事)を任されやすいですし、人望が厚い人は世の中の矛盾や痛みにも敏感ですから、非道な判断を出来なかったり、ストレスで体を痛めたりして、比較的早いうちに出世レースから外れがちです。
そういう意味で、なぜか社長まで上り詰めるのは、大して有能ではなく、そこそこ無神経で、仕事への興味はさほどないが、権力への執着だけは人一倍強い人、というのはよくある話だと思います。
もっと面白いのは、元々体力的に厳しい仕事(土木や医療福祉)。
聞くところによると、誰を組織のリーダーにするか云々以前に、相応の年になっても体力的にその仕事を続けられる人が少ないため、
リーダーの適性度外視でたまたま残り続けた人=リーダー
という消去法で任命されることはよくあるそうです。
改めて考えると、不思議な世の中です。
← 広瀬、家を買う。~マンション購入バイブル~ 豊かさ →