社会性がない人の考察(駄文)
「もし機会があれば、あなたが不快に思ってることを相手に伝えて見てはいかがでしょうか?分かり合えることもあると思います。」
ちなみに自分は、対人関係の問題が起きた時は黙って去る、が基本なので、そういうコミュ強もいるんか…と思ってましたが、
知人とこの話になった時
「そこで、不快に思ってることを言って、和解したパターンを見たことがない。」
という話題になりました。
それどころか、友人関係などの揉め事では
①被害者側が相手に、「どうしてそう思うの?」など、穏便な歩み寄りの対話を求める。
②逆ギレ発動
(隙あらば自分を正当化したいので、論理をすり替えてでも、逆ギレする)
③加害者側は、逆ギレ=被害者を叱責する構図を作ることで、『 被害者側が嫌なことを言ってきて私を攻撃したのが悪い』と被害者意識を持つ
④加害者側が被害者を自称し泥沼化~そして伝説へ~
パターンは、良くあることのよう。
最近だと、呉座勇一先生とさえぼう先生の炎上がまさにこれでしたね。
トラブル終盤など、双方被害者に見えるため、状況を理解できない人が「どっちもどっち」と言い出すなど、地獄ここに極まれりといった様子でした。
もちろん、世の中、そんな逆ギレしないでしょ、と思うでしょうが、実際その通りです。
②に至る前に関係が解消されたり、ここまで全面対決するような大事になる前に、相手からの微かなアラートに気づくなどして、多くの対人対決は事前に回避されますから、ケースとしては多くないと思います。
ただ、逆ギレする人は、
・そもそも、自分が相手に対して加害していた認識がないので「我慢耐えかねて言われた苦言」であっても「自分に対して嫌な態度をとってきた相手が悪い」と受け取る
・自分を被害者だと信じ、自己防衛することで、和解方法を覚えるチャンス拒否し、懲りずに何度も色んな人と対人問題を繰り返す
という流れで、何年経っても色んなところで、似たような問題を起こしてるのだろうなと想像します。
最近も、久々に逆ギレをする人をみて、新鮮な驚きがあったんですが……なんというか、絶句するほど俯瞰的視野がないんですよね。
脳障害か?!と思うくらいない。
そして、俯瞰的に物事を見れないので、時間軸の概念(因果予測能力)も極端に薄い。
さらにいうと俯瞰的視野、時間軸の概念がない人は「自分が全体の中でどういう立ち位置か、今これをしたら後々どうなるか」という認識がないため、社会性も乏しい。
少し前、友人から「若手に仕事を断られる」という悩みを相談されたのですが、その場では回答できなかったものの、思い起こすと、これも俯瞰的視野(自分は労働のために雇われている)、時間軸の概念の欠如(勝手なことをしていると周囲の評価が下がり自分が不利になる、回り回って自分も困る)から来る社会性の乏しさと捉えると似たような話だよなとも思います。
ちなみに、仕事を断られた理由は、忙しいとか専門でないとかそういうことではなく、単純に「興味のない仕事だからやりたくない」という理由らしいです。
依頼したことは、新人の教育と備品の補充だそう。
私も、実際目にしたことがあるので最近の若手の感覚としては珍しくはないのでしょう。
あと考えてみると不倫をする人とかも、似たような部分あるんだろうなと、清田の読めば読むほど面白すぎるニュース(不謹慎)を見ながら、思ったりもしました。
俯瞰的視野がないから、奥さんの存在や痛みを無視する、時間軸の概念がないから、バレた時の社会的制裁を想像出来ないのだろうなと。
あれは確実に依存性の類なので、性格云々でもない部分もありますけどね。
不倫といえば、お悩み相談サイトで「友達から不倫の悩みを相談されたが、毎回その話ばかり&倫理的なことも気になり精神的に限界」といった質問が、不倫当事者の悩みより遥かに多いのが気になってたんですが、これも、普通の人が普通の俯瞰的視野を持ってる一方、不倫する人はそれが欠落して自分のことばかり話すわけだから、まともな頭を持った人なら精神的に限界になって当然だよなァと思います。
ちなみに、昔、不倫女Aの不倫の片棒担がされてメンタルがおかしくなり、ここにその苦痛を吐露したところ、それを読んだ別の不倫女BがAにバラして不倫Aにどつき回される事件があったんですが。
その時の不倫女Aは、自分に非がなく、清廉潔白な立場で、悪いのは10000%相手(私)という姿勢で罵倒してきて、めちゃくちゃ面白かったことを今でもよく覚えています。
「社会性のない人間は、恋愛だけ、友人関係だけ、など局所ではなく、全てのことに一貫して自覚なく頭がおかしいんだ」ということにだいぶ驚かされました。
さて、こうした社会性のない人達。
高学歴の人、家庭環境がいい人も陥るので、IQの問題ではないんですよね。
じゃあなんの問題かと言うと、幼少期、初めて社会に触れるきっかけが、家庭のお手伝いや、周囲の人との協力活動だと
「社会=自分が他人のために動くことで、相手から認められたり、コミュニティ全体のメリットを享受できるしくみ。自分の評価は、社会の中での活動により決まるもの」
と認知されるため、社会性のある子に育つんですが、そういう体験がなく、自分のことは周りの大人がなんでもやってくれて、スーパー等が社会デビューの場になってしまうと
「社会=周りが自分のことをやってくれるもの。金を持っていれば店員は自分に頭を下げるのが普通。買う買わないの決定権(評価)は自分が相手に下すものであり、人の指図を受けて決めることではない」
というふうになっていくそうです。
わがまま放題で育った人間は、それを世の中の当たり前だと思って気づかず周りを不快させるという、至極簡単な話ですね…。
出典
この仮説が本当なら、大人になってからこの価値観が変わることは無いでしょうから、対応としては「社会性のないやつは十分警戒していく」くらいしかないような気がします。
まぁ、社会性のない人間は、自分のことしか考えてないから、見ようによっては社会性のある人間より親切な時もあると思いますし、なかなか見抜きにくい部分あるんですけどね。
以上、社会性がない人の考察(駄文)でした。
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