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honjitu no hirose

広瀬ヒロ

虚空に向かい思考を吐露して17年。 伴侶は孤独、幼なじみは希死念慮、命を支える偉大な信仰、降谷零。 自己葛藤から抜け出せない永遠のモラトリアム中年。引き続き、七転八倒をお楽しみください。

男装の麗(しくない)人


気づいてみるともう数ヶ月ほど、男装の人として過ごしていることに気づいた。

きっかけは、思いつきで髪をショートにしたことで、それまで着ていた服が全く合わなくなったため。

それまで前よく着ていた服は、ナチュラルビューティーベーシック、アクアガールあたりの、レディースの中でもフェミニンな系統の服装だった。
合わなくなるのも当然である。

普通はそこで、新しく服を全部買い揃えたりするのだろうが……服装にそれ程の興味や気力もなく、当面の服装として、手持ちのメンズ服で過ごしたところ、存外に快適だったため、そこからは、惰性で今に至る。


私はそれまで、男装をしている女性は、レズビアンやトランスジェンダーなど、セクシャリティに関する主義主張がある人なのだと思っていたが、実際、自分でそういう暮らしをしてみると、「単純に都合がいいからそうなっているだけ」という部分が大きいことに気づく。
(自分も性自認が男女どちらでもないという点では、主義主張がないといえば嘘だが。)

単純に都合がいいとは何なのか。

まず一つ目。

そもそもレディースの服が体型に合わない。

たとえば、袖が短い、裾が短く背中がすぐ見えてみっともない(これが一番困る)、ウエスト位置が合わない、もしくは太った人向けの服しか選択がなくしんどい。など。

高身長女性は、日々、こういった地味な苦痛を抱えて暮らしていて、これまでの人生何十年も、「人間の服とはそういうものだ」と思って暮らしてたのだ。

しかし、メンズのシャツを着た時に、これら全てが解消されて、服ってこんなに快適なのか、普通の人、こんなに日々生きやすいのか、と、めちゃくちゃ感動した。
その驚きたるやアメリカ大陸発見したくらいのものであり、すぐさま高身長の友達に報告したら「私、ずっとメンズ着てる。そうなるよね…」と普通に返された。
アメリカ大陸を知っている人、もとい、170cm位の女性の世界ではよくある事らしい。


二つ目。
安いわりに丈夫。
逆にレディースの服ってなんであんなペラくて割高なの。

三つ目。
朝の服を選ぶめんどうがない。
ボトムスは似たチノパンを3本履き回しており、トップスはその全てに合うものしか買ってないので、毎朝服を選ぶのが爆速になった。

また、仕事で判断すること、考えることが増えていくと、わざわざ毎日コーディネートを考えるという日常のどうでもいい決断が重荷になってくるので、そういう点でもかなり良い。
ちなみに、ジョブズが同じ服しか着てなかった理由もコレらしい。

四つ目。
慢性的な冷えから来る体調不良が改善された。足も冷えないでいい。
職場や街の温度が、いかに、しっかりしたシャツ+靴下+革靴の男性装備で適温になるよう設定されてるか思い知った。
すごい快適。
そもそも女性の標準装備が冷え性になるための服装みたいな所ある。


今あげたものは、「服」としてみた時の良かったことなのだが「服を取り巻く社会」の面でもいいことがあった。


ひとつめは、自然体というか、明るくなったこと。

本当に不思議なのだが、それまで、自分は自分のことを人間だと思っている(いわゆる性自認の話。私は自分を人間だと思ってて女性とも男性とも思ってない。)のに、社会的に女性の風貌をして、女性として振る舞い、女性として扱われることが地味にストレスだったのかもしれない。
自分で服を選んでいたはずなのに不思議な話である。
自分でも気づいてなかったのだ。
今は自分の性自認と、風貌と、周りからの扱いが全部「ユニセックス風の人間」で一致してるので、昔より朗らかに生きている感覚がある。

そのせいかどうかはわからないが、最近色んな人に話しかけてるれるので、会社でも席が近いだけの、なんの部署なのかも知らない人と、おしゃべりしたりお菓子の交換をしている。

いい歳した中年女性がメンズの服を着ていたら、周りからの倦厭されるかと思っていたのだが、案外そうでもなかった。


後もうひとついい点。
どんな店にも入れる。

女性らしい格好をしているとお客が男性しかいない大衆料理店に入りにくいことがあったのだが、今は気にせず入れる。
男性しかいない場末の中華屋で定食を食べ、女性しかいない可愛い雑貨の店に行き、服屋さんではレディースのフロアとメンズのフロア両方見て帰る。

この生活をするようになり、衝撃的なことにきづいた。
実は我々は無意識に「男の子向け」「女の子向け」の社会の中で生きていて、それを当たり前に思いすぎて、自分向けじゃない50%を「無意識に自分の視界から消している」ということだ。
もう視界に入ってても何も見えてないのだ。

何年も前から何度も足を運んでいた服屋さんのメンズフロアに初めて入った時、
「そもそもメンズフロアが4Fにあることも、こんな服が売ってて、こんな雰囲気で、こんな客層であることを今まで全く知らなかった。ずっとあったはずなのに…」
とひどくカルチャーショックを受けた。
ちなみにこれ、パートナーのつきそいでそこに行く、冷やかしやぷらっと寄る程度でいくのとは、全く意味合いが違うのである。
自ら目的を持って、主体的に、自分のフィールドだという気持ちでその場所に関わろうとするからこそ、感じることがあるのだ。

男装をしてから、踏み込める世界が倍になったので、世の中「自分には関係の無いゾーン」だと思ってたものが見えるようになり、自分がよく行く街の面積が二倍になったような気がしている。



一方で、男装になってから悪いことも起きている。

男性が、凝視してくるのだ。
酷いとわざわざ振り返って、まじまじとこちらを睨め回すような、蛮民ここに極まれりと言った輩さえいる。

面白いことに、凝視してくるのは20-30代くらいの若い男性で、道端ですれ違う時のみ。
かなり遠くから凝視しているのですぐにわかる。
もし変わった格好だということで凝視されるのなら、「人をジロジロ見てはいけないと教わらなかった老若男女」からまんべんなく凝視されるはずだが、そうではないのだ。

凝視するというのは、それだけ当人の「女らしさ」のとのズレ幅が大きいためだろう。
赤の他人に対して、女性でもないのに女警察をしないと気が済まないなんて、今どきの男性は大変ジェンダーに熱心で殊勝な事だ。

※ちなみに、現実に起きてるのは「20-30代の男性だけが、しょっちゅう不躾に凝視してくる」だけで、本当の理由については一切分からない。





今後も男装を続けるのかは分からない。
というか、着れるから着てるだけで、別に男装したい訳じゃないんだよなぁ、という違和感も抱えている。

本当なら、ユニセックスの服を着たいのだが、ユニセックスの服はなぜか異様にモードでだぶついた服が多く、オフィスワークには全く適してないのだ。

そのため、男性的もしくは女性的な服から選ぶしかなく、やむを得ず体型に合う男性的な方に寄っているのが実情。

ビジネス社会は、最も男女の区分けがはっきりしたコミュニティなので、オフィスに適したきちんとしたユニセックスウェアが開発されるのはまだまだ先のような気がする。


そんなことを考えながら、社内にある、社員検索システムの改修を頼まれたおり、しれっと「性別(男性か女性しか選べない最悪の項目)」の項目を消した。

4月にリリースしたが、未だに誰からも指摘来てないからヨシ。
そもそも、労働内容に男女は関係ないのになぜ公開していたのか謎すぎる。厚労省だって、履歴書の男女欄はナンセンスだって言ってるのに。

こういう、薄紙のような変化を一枚一枚重ねていくことが、世の中を変えていくことに繋がればと切に願う。





#トーベ・ヤンソン ムーミンの作者



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1 Comments

- says...""
自分も若い男性が凝視してくるというのには経験があります。
それはユ○クロの服だったからかもですが、男の自分が持っている服を「なんか女が来てる!」という戸惑いや驚きのようなものだと感じました。
それだけその人にとっては想定のしていない使い方だったのかもしれません。
2021.07.04 05:50 | URL | #- [edit]

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