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honjitu no hirose

広瀬ヒロ

虚空に向かい思考を吐露して17年。 伴侶は孤独、幼なじみは希死念慮、命を支える偉大な信仰、降谷零。 自己葛藤から抜け出せない永遠のモラトリアム中年。引き続き、七転八倒をお楽しみください。
#コメントありがとうございます。ありがたく拝見しています!

おおかみこどもの雨と雪の話


先日、ぼんやりとテレビを見ていたら、「おおかみこどもの雨と雪」がはじまり、見てみると意外と面白く、そのまま見切ってしまったのですけど。







※ネタバレしてます。
作品を見てることを前提にした内容です。





若い頃にも、この作品を見たことがあるのですが。
その時には、おおかみこどもとして人間社会になじめず、森で山の主となった雨の結末を
「社会不適合者の成れの果てを美しく描いているだけでは…?」
と微妙に気持ちになったのを、よく覚えているんですよね。

公開当時は、勝ち組、負け組という言葉の残り香がまだあり、社会や労働に身を捧げることを、世の中が今よりも強く是としていた時代だったはずです。

それを踏まえると、その感想は、「資本主義に頭の先まで浸かった一視聴者の自分が抱きがちなこと」だったなと思います。

でも、自分が当時感じたその感覚は、この2021年においても生きていて、今回の再放送を期に書かれたネットの評論では
「おおかみこどもは社会的弱者であり、雨の生き方は(社会的に成功できていなかったおおかみおとこの父の影響を強く受けた)貧困の再生産」
とさえ言われていました。

しかし、今回、自分が改めてこの作品を見て思ったのは……
むしろ、おおかみこどもであることを隠して人間社会の中で生きるがゆえに様々な問題にぶち当たる、雪の生き方に対する違和感なんですよね。


これは、作中でもはっきりと描かれていることですけど。

まず、周りの家では猪に作物が食べられてしまうのに、花の家では、獣害に遭わないで作物が育つこと不思議がる住民のエピソード。
これは、雨と雪のおしっこにオオカミの匂いがするので、獣害に合わない=おおかみのハーフであっても子供であっても、森の生き物に恐れられる遺伝的な能力があるという裏付けだと思います。

これは「おおかみこどもは、森の社会では最強の生き物である」ということの暗示ですよね。

一方、作中では「おおかみこどもであることが人間にバレたらどうなるか分からない」という話が何度も出てきており、雪もそのことが原因で大きなトラブルになるなど、おおかみこどもであること、それを隠し続けることに大変な苦労をしています。

こちらは、「おおかみこどもは、人間社会では被差別対象である」であることを暗示しています。

この作品では、同じ「おおかみこども」という、与えられた遺伝子のカードであっても、そのカードを使うフィールドの違いだけで、両者に大きくさが生まれることを、雨と雪の成長を描きながら、上手く表現しています。
そして、それはクライマックスでさらに明確に描き出されます。

森で生きることを選択した雨は、おおかみであることを活かして森の主となり、人間社会と決別し生きる選択をした一方、
人間社会で生きることを選択した雪は、今後もおおかみであることを隠しながら、さらに家族から必要とされない子、草太と「被差別者同士寄り添う」道を選びます。


雨の生き方は、冒頭でも書いたように「社会不適合の末路」とも言えますが、見方を変えると、雨が自分のカード、つまり才能が最も活きるフィールドを探し続けた結果とも言えるでしょう。

そして、雪は「社会適合」のために、自分の才能を捨てています。
「森の中の食物連鎖で最強」というカードを手にしながら、社会適合のためにみすみす放棄するのは、勿体なさ過ぎるような。
平たく言ってしまえば、「自分の才能を生かした道を捨てて、そんなに苦労する必要ある…?」という話なんですよね。


雪の場合、この疑問への回答として、作中では「どうしても人間社会で生きたい」という設定、その設定を裏打ちするきちんとしたエピソードがあったので、美しい話としてまとまっていますが、これが現実社会だったらどうでしょう。

現実で雨と雪を例えるなら、
雨は年収数千万のYouTuberあたりなのではなかろうかと思います。
社会には迎合できないが「YouTube」というフィールドでは絶大な支持を受け、自分の居場所がそこであることを知った雨。
一方、雪は、カリスマYouTuberの才能を持っていながら、「どうしても事務で働きたい人(ただしYouTuberの才能ゆえに、異様に早口でキャラが濃く、会社では浮くし働きづらい)」みたいなものでしょうか。

果たして、どちらがいいのか。
作品では、当然、どちらの生き方が良いとも述べられてませんが、見る側としては、考えさせられるものがあります。


おそらくこの作品が公開された当時は、時勢的にも、雪の生き方に共感する人の方が多かったのでは、と思います。
でも、十年近い時を経てみた時、雨と雪への印象がこれだけ変わるのは、それだけ社会が変わったことなのだろうと考えさせられました。
よくできた作品ですね。



そして、見終わってしばらくして思ったのですが。

最近、世の中で言われる「仕事が辛かったら、学校が辛かったら"逃げて"いいんだよ」という言葉。

危険を避けるために移動することは、頭も使うしめちゃくちゃポジティブなことなのに、なぜ「逃げ」などというネガティブな言葉を使うのだろうなぁと、改めて不思議に思いました。

たとえば、雨の不登校は、人間社会から見ると「社会から逃げた人」です。
しかし、雨が「社会から逃げて」行っていた、きちんと自分が生きていけるフィールドを探す行為は、逃げじゃないですよね。
自分の人生に責任を持ち、熱意と根性を捧げた雨のあの山での出来事を、何も知らない人間が「逃げた、人間社会を辞めた」と言うとすれば、それは相当に傲慢なように思います。

むしろ、誰が悪い彼が悪いと、他者に依存し文句を言いながら、ただ漫然と居場所を探すことも無く生きている人間の方が「逃げている人」の呼び名に相応しいでしょう。


ちゃんとした居場所を探すこと、自分にふさわしい居場所に移ろうとする人に「逃げ」なんてしょぼい言葉を使うのは、改めて失礼だなと思います。








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