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honjitu no hirose

広瀬ヒロ

虚空に向かい思考を吐露して17年。 伴侶は孤独、幼なじみは希死念慮、命を支える偉大な信仰、降谷零。 自己葛藤から抜け出せない永遠のモラトリアム中年。引き続き、七転八倒をお楽しみください。
#コメントありがとうございます。ありがたく拝見しています!

薬を飲んだら異世界に転生した話。

「物事の理解力が普通の人と違う」

と、人から指摘されることが、以前からよくあった。

そうは言われても、理解力を人と比べることは出来ないし、そんな自覚もない。

だから、最初は、お世辞なんだろうとか、
基本的に早口なので、早口をそう感じるだけでは、とか
変人の自分を、そのままズバリ変人と言うのははばかられるから、そう表現しているのだろう、程度に思ってた。

正直にいえば、人との理解の差について、全く心当たりがなかった訳では無い。

ただ、その差は、やる気や興味の有無とか、その日たまたま疲れてたとか、そんな程度のものだと思っていた。

今思うと、自分と他者の違いに気付かぬまま「自分は平凡な人間だから、どんな人も、やる気を出せば、私よりかはできるものだ」と思うのは、謙虚なように見えて、とんでもない暴力性だと感じるのだが。



物事の理解力がある、というのは、言い換えれば、1を聞いたら10を知る、という話なのだが、これはいい事ばかりではなく、我ながらどうかと思う問題もあった。

それは、1を聞いた時点でブチギレると言うこと。

例えば、日頃から素行の悪い友人が
「人を殴りまくってきた」
と笑いながら告白してきたら、
「なんてやばいことをするんだコイツは…」
と直ぐに思ったり、距離を置くだろう。

これは、
・日頃から素行が悪いという前提知識
・嘘はつかないから殴ったことは事実という判断
・人を殴るのは倫理的に良くないという一般倫理
・普通は人を殴らない(社会の標準を超えてた衝動性)
・過去にも人を殴ったことがあった(常習性)
というような「様々な前提情報」を、脳が一瞬で判断するためだ。
これは大体の人が理解できると思う。

では、ごく善良そうに見える全く知らない他人が
「人を殴りまくってきた」
と笑いながら告白しできたらどうだろう。
「様々な前提情報」がないので、普通は疑わずに「本当なのかな?」と思うはずだ。


これと同じ理屈で、例えば、
「トラブルになったのはあなたにも責任がある」
など人から責められる場面があった時、
自分は、即座に
「どうみたって、このタイミングでミスをするのは前から分かりきったことなのに、今更こっちを責めてくるとか頭湧いてます……?」
となるのだが、指摘してきた本人や周りは「様々な前提情報」がない世界で生きてるので、両者間に溝ができてしまうのだ。

しかも、大抵、事前に「あなたはこのまま行くとこういう経緯でこういうトラブルになりますよ」とやんわりと何回も伝えてることが多い。
のだが、こういったことを言い出す相手は、大抵、私の指摘を適当に流して忘れていたり、そもそも理解力が乏しく分かってないことが多く、さも自分は何も悪くないと言った顔で、私が予告した通りトラブルを起こすため、話を聞いて数秒で私の怒りが有頂天になる。

第三者に事情を話せば理解してもらえるだろうと思うかもしれないが、実際そう言う部分はある。
自分のキレ方はヒステリー系ではなく、理詰めなので、状況がわかる他者が経緯を聞くと「確かにそれは…」となることが多い。
ただ、それ以前に
「1を聞いた時点で、突然ブチギレる頭のおかしい人へのドン引き感」
はかなり強く、ブチギレた時点で私の心象は地に落ちている。

グッと堪えろよと思われるだろうが、それについてはすでに二千年前にキリストが、「人にグッと堪えろよと言える者は、梅干し思い浮かべて唾液が出なかった者だけである」と、述べている(述べていない)。


ここからが本題なのだが。

こういった話が年に数回あるのだが(基本優しくしてるせいで他人から付け上がられやすい)、こういったことがある度自分のメンタルにめちゃくちゃ悪い影響を及ぼし、数ヶ月先まで苦しむことが多いので、ある時、このブチ切れ問題を解決しようと思った。
善は急げと、我らがドラえもん、インターネッツに泣きつく。


パララパッパパー
\病院~(cv大山のぶ代)/


実は、この頭が回りすぎてブチギレる問題は、インターネッツにも事例がそこそこ出ており、治療に適した鉄板の漢方薬がある。
事情を説明すると、医師が、私と全くおなじ思考が走りすぎる症状を持っており、自身もその漢方薬を飲んでいたとの事で
「その症状だったら、このメーカーがいいから。その代わりガツンと効くけど……」
と太鼓判を押してあるメーカーの漢方薬を処方した。



そして、帰って服用して、衝撃を受けた。


情緒が安定する代わりに、世界から受けていた情報が90%くらいカットされた。
簡単に言うと、頭が悪くなった気がした。
確かにこれなら、入る情報が少ないから、人のあれこれにとやかく思うこともないだろう。

ただ、しかし。これは。

私はこの瞬間、知った。
おそらく、理解力がある人というのは、人の10倍、生きているこの世界から情報を得て、それを人の10倍分、咀嚼している人のことをいうのだ。
このブログを読んでる方からも時々
「色々なことを深く考えているんですね」
とコメントを頂き、
「他の人は考えないものなのかな」
と不思議に思っていたが、そうじゃない。
そもそも、普通の人は考えないのではなく、脳が「入ってくる情報」の方を制限しているせいで、「脳に情報がないから考える余地がない」のだ。
そうしないと、抱えきれないほどの膨大な情報に、頭が狂ってしまうからだろう。
クリエイターが豊かな感受性(膨大な情報)で様々な表現をする代わりに、うるさい所や人混みなど、情報過多な環境がダメな人が多いのも、おそらくこのせいなのだろう。



その後、薬を飲んで数日経つが、世の中の人は、よくこんな薄味の世界で生きていけるな……と感動する。

たしかに人と映画を見たり、絵画を鑑賞したあと、自分は溢れるような感動と、感想が湧き出てくるのだが、普通の人はそうでもなさそうなことを、常々不思議に思っていた。
そして、自分は、その自分のアウトプットの衝動性を酷く嫌っていたので「良かったね~」と一言言って終わりにできる、他者の穏やかさを羨ましいと思っていた。

でも、その穏やかさの正体が、「受けた情報の咀嚼がそこまでされていないから」だとは思いもしなかった。


とはいえ、理解力(=感受性)が高すぎるせいで、人の発する、強すぎる様々な感情に疲れ果てていたのも事実だ。
よろこびや感動であれ、憎しみや怒りであれ、強すぎる刺激は精神を疲弊させる。

薬の論文を見ても、服用による脳神経の「刺激(ストレス)に対する耐性」が高まるとのデータもよくあるので、これは薬による正常な反応なのだ。

つまり、これが普通の人の、普通の世界なのだろう。
自分には、考えられないような世界なのだが……






この話、何が言いたいかと言うと、
「隣の芝生はそんなに青くない」
という話なのだ。

実は人との理解力の差を調べる中で、世の中には「理解力をみにつける本」があったり「理解力をみにつけるためにはどうしたらいいか」考える人の存在を知った。

多くの人は、理解力があげてほしいですか?と言われたらYESと答えるだろう。
自分だってそうする。

しかし、それが、
「世の中の喜怒哀楽、手触り、見た印象や映像の記憶、音の印象や言葉の感情、味、におい、全ての情報が100倍で自分の脳に入ってくるせいで、人と全く違う認知の世界で生きること」
だとは思わないはずだ。
理解するというのは、そういうことなのだ。

そして、反対に、メンタルがめちゃくちゃ安定した人になりたい、そういう人生を送りたい、というのは私のあこがれであったが、その憧れの日常がまさかこんな無味なものだとは思いもしなかった。
感受性豊かなまま落ち着いた人格が手に入ると思っていた。


人は隣の芝生を見て、その青さを羨むとき、頻繁に雑草を抜かなくてはならない手間や、時々現れる気持ち悪い虫には思いを馳せないものである。





ちなみにこの話、易怒性のことを話してるが、実際には薬によって、全ての感覚の鋭さを失わせることで、怒りも感じなくなり落ち着く、という話なので、HSPの人にも良いのではないか?
簡単に調べた感じでは、ちらほらそういう記事もあるようなので、HSP的な神経過敏でお困りの方は選択肢のひとつとして検討されてはと思う。
そして私と同じように普通の人の世界に驚いて欲しい。


それにしても、木の根っことかミカンの皮だけで、人間の脳神経がこんなに凄いことになるなんて意味不明すぎませんかね。

いや本当に意味不明すぎるでしょ……
意味不明すぎるよ。



医師の言うとおり、同名のクラシエの市販薬は
この漢方ほどガツンとした効果は無い。






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