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honjitu no hirose

広瀬ヒロ

虚空に向かい思考を吐露して17年。 伴侶は孤独、幼なじみは希死念慮、命を支える偉大な信仰、降谷零。 自己葛藤から抜け出せない永遠のモラトリアム中年。引き続き、七転八倒をお楽しみください。
#コメントありがとうございます。ありがたく拝見しています!

ありがとう、コロナ。

※少し前に書いたものなので話の内容に時差があります。



資料内のイギリスのデータによれば、国民80%が2回接種すると、新規感染数がピークの25%位まで落ちるっぽいです。

もし、東京のワクチン2回接種が、秋~冬に一巡すると、その頃には東京の新規感染数も500~1000人/日くらいまで落ち着くのでは無いでしょうか。
また、変異株の塩基配列(変異)のパターンも無限では無いですから、その頃には出尽くして、次第に強い株が出来なくなるでしょう。
そうすると、来年春~夏頃には、コロナも下火になるのでは。

そんな事を、この資料を見ながら思いました。


最近、床につき、夏の終わりを感じる涼しい夜風に当たりながらふと思い出したことがあります。

「そう言えば、子供の頃から何回も、こうして寝る間際にウトウトしながら『あぁ~世界がめちゃくちゃにならないかなァ』と思ってたな。」

このめちゃくちゃっていうのは、漠然としたもので、宿題をやってない小学生が「明日、学校に怪獣が来ればいいのに。」と思うくらいの、ふわふわした妄想だったんですけれど。
でも、ふと考えて見たら、コロナはその子供の頃から想像してた「めちゃくちゃな世界」そのものなんですよね。
知らぬ間に、その幼い頃に描いた妄想がかなっていたことに気づきました。

そして子供の頃からぼんやり抱いてた、そのめちゃくちゃな世界で1年半生きて思うのは、めちゃくちゃな世界は、めちゃくちゃ生きやすいということです。


コロナになってからのことを振り返ると、少なくとも生きてきた中で、ここまで幸福度が高かった1年半はなかったと思います。


不衛生な人間が減って、無神経にでかいくしゃみや咳をする人間がいなくなったため、病気にならなくなりました。
公共機関で、大声で会話する人もいなくなりました。
駅前や電車で吐瀉物を見て気分が悪くなることも無くなりました。
昔話と悪口しかない飲み会を断って、「人間関係を大事に出来ない人なんだね」という顔をされることも無くなりました。
職場で、やたら机やペンをバンバン叩きつけ、同僚をいびる老婆の罵声を聞きながら仕事をしなくてはならないことからも解放されました。
通勤がキツすぎて(言うて片道20分ですけど…体力無さすぎて)、金曜になる頃には、疲れ果ててまともに仕事できないということも無くなりました。

ざっくり思いついただけでこんなにあります。

なにより、ここ数ヶ月、希死念慮出てないんですよね。
もういつからなのか覚えてないのですが、こんなに長く、希死念慮がでてないことは、生まれてから初めてだと思います。

多くの人が幸福だと思う世界は、自分にとっては死にたいほど地獄みたいな世界。
多くの人が地獄だと思う世界は、自分にとってずっと続いて欲しい幸福な世界。

不思議なものです。

じゃあなんで、多くの人の地獄が幸せかといえば。
これは、在宅勤務が続いたことで、外に出なくなり、社会との距離感ができたためです。
その中で俯瞰的な視野で社会についてかんがえられるようになり、気づいたのですが。


コロナ前の社会って、無神経で、衝動性が強く、自己の利益のためなら何でもする見境のなさを持ち、物事の状況を判断したり、因果関係を推測する力がない人が、生きる上で圧倒的に強い社会だったんだな、と。


コロナ前の世界では、このタイプの人は「積極的で、周りと協力できる、仲間の多い、社会性のあるまともな人」という好意的な評価を得ていたはずです。
一人では何も出来ない人ほど、周りから人がよってくることは無いので、積極的にならざるを得ませんからね。

でも今、コロナの感染者数が爆増する中で、社会から石を投げられているのも、このタイプの人間だと思います。

そして、彼らのような
「注意されなければセーフ、言われたら辞めればいいでしょ」
という人と
「注意されないように配慮しよう」
という人の間の明確な価値観の違い、言ってしまえば、マリアナ海溝より深いその溝が、世間一般にわかるほどはっきりと可視化されたのが、コロナだったのでしょう。

周りでも
「〇〇の時に旅行に行ってる友達がいて引いた」
「~~で、付き合い方を考えた」
などという話を本当によく聞きました。



特にオチがある訳では無いのですが。

ペストもスペイン風邪も一流行の期間は2~3年程度らしいので、そろそろ、この有難い人生のボーナス期間ともお別れする時が近そうです。

アフターコロナ、どんな世界になるのでしょうね。

自分は、意外と自分のように、
「コロナ生活の快適さに馴染んでしまった人」
「ビフォアコロナの社会がどれだけ狂ってたか気づいてしまった人」
が多くて、世の中が思ったより元に戻らないのではないかと考えています。


そしてこの先、なんとなくですが、今まで人々の価値観の頂点にいた「何かを体験することの価値」が陥落し、人の関係が小さくなり、リアルのコミュニティ得られる情報が少なくなるぶん「情報(わかること、理解すること)の価値」が爆上がりするんじゃないかなぁと思っています。

もうこうなったら情報商材で食べていくしかないっすね。




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2 Comments

広瀬 says..."Re: もちさん"
こんにちは、はじめまして。
コメントありがとうございます。

>不謹慎ですが世界で大きな事件や事故、トラブルが発生しないものか、考えたものです。
不特定多数が読む手前、記事では柔らかく書きましたが、めちゃわかります。なんでなんでしょうね、この破滅願望…。私も事件や事故、災害、アルマゲドンの到来など毎日のように色々考えてました。

ビフォアコロナの人生の磨耗具合とアフターコロナの人生の潤い具合が文章からも滲み出てて、自分以外にもそういう人いたんだと嬉しかったです。
こういう言い方なんですが、コロナになって本当に良かったですね。

しかも、人生終わりに家族が1年も穏やかに寄り添ってくれるって、ペットにとってもすごいラッキーボーナスなんだろうなと、温かい気持ちになりました。いい事ですねぇ…

こちらこそ、良いお話を聞かせてくださってありがとうございました。
2021.11.30 17:51 | URL | #- [edit]
もち says...""
こんにちは。共感する部分がとても多く、以前からブログをちょこちょこ覗かせてもらっています。
今回のテーマ、分かりみが深すぎて思わずコメントした次第です。
私も小さい頃から、不謹慎ですが世界で大きな事件や事故、トラブルが発生しないものか、考えたものです。
コロナになってから仕事で客先に行かなくてもオンラインで商談ができるようになったこと、私のことを不躾にも下の名前で呼ぶようなクソ客とも飲みに行かなくてよくなったし、休みの日に無理して彼とデートもしなくてよくなったし(結局めんどくさくなり別れました)。
17歳の老犬と、リビングで日向ぼっこしながらコーヒーを飲みながら穏やかな日を過ごし、コロナ前に比べてめちゃめちゃ幸せです。
コロナが落ち着いてきて、クソ客から飲み会に誘われると、前は仕事の付き合いだからと無理して行っていましたが、今はクソ客の事務所に行くのも無理になりました。
嫌なものは嫌、初めからできる人にはなんてこと無いことかも知れませんが、「無理するのやめよ」と、自分に正直でいようと、コロナで自然と価値観がアップデートしたように思います。
「自分にとっての幸せとは」改めて見つめ直し、正直に生きていけそうな気がしています。
改めて気づかせてくれて、ありがとうございました。
2021.11.28 15:44 | URL | #- [edit]

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