私は今、多くの人の夢の中にいる。
私は今、そんな会社に勤めている。
それを誰にも言ったことはなかったが、最近Twitterを見ていた時に、「世間がそういう暮らしをどう思うか」わかるようなツイートな流れてきて、おもわず興味深く読んでしまった。
友達が「朝10時くらいに出勤して店長のおじいさんとおやつ食べたりお喋りしたりしながら事務仕事して、暇だと15時くらいには『帰っていいよ~』と言われる写真館で働いてる」と言っていて、羨まし過ぎて流れた血の涙を溜めた釜で悪人を煮ています
— ame (@ame_koneru) November 26, 2021
案外、そんな怠惰な労働、嫌気がさすでしょ、と言われると思ったがそんなことはなく、
概ねご意見としては
・そんなところ勤めてたらすぐ潰れる
・お給料安いんじゃないの
というところだった。
潰れなくて高給だったら、そういう仕事はアリ、ということだろう。
ちなみに今勤めてる会社は、そうそう潰れないだろうと思う。
お給料は、爆裂高給という訳では無いが、ネットで見る限り、同年代である30代の中でも上から数えた方が早いようだ。
私は全く残業をせず夕方には家に帰るので、同じ年収の人と比べても時給換算では、その中でもより高いはず。
つまり、私は今、多くの人の夢の生活の中にいるのだろう。
(余談だが、自分の年収がどのくらいの立ち位置なのか知った時、この今の生活ぶりでも相当良い方なのか、と日本の貧しさに震えた。昨日だって半額シールの惣菜買いまくったせいで、レジの人が途中から気を使ってレジを通す時の「半額でーす!」コールをやめ、すごく気まずくなったと言うのに。)
ただ、私は今、就労に問題が出るほどメンタルを病んでいる。
内的に病んでいるうちは平常運転なので良いのだが、ストレスで気性が荒くなりすぎ、このままだと周囲から社会的に弾かれるのではと怯えている。
理由は、仕事がないから。
そもそもうちの会社は仕事が遅い人が多く、そこから更に、考えてるようで考えてない、やってるようでやってないムーヴをする人も多いため、その中に居続けた結果、日々に頭がおかしくなってきてしまった。
ドストエフスキーの「穴掘り拷問(穴を掘って埋めるのを繰り返すと人間は病む)」という有名な話があるがまさにそれに近いかもしれない。
日々の労働に生産性がないのだ。
仕事がないくらいで、病むわけないだろう、と思われるかもしれない。
けれど、私がいる世界というのは、
本当に真面目に、真摯に、一生懸命仕事に取り組み、
何も成果を上げず、自分は頑張ったと心から喜ぶ人たちの世界だ。
コミュニケーションと実態が噛み合ってない大きな矛盾があるのに、誰しもがそれを正常だと思っている。
おそらく仕事に対する考え方やなんのために職場に来てるのかという視点が分かり合えないほど離れているのだろう。
これが例えば、相手が自分を故意に干そうとしていたら、イラつくことはあっても逆に病まないだろう。
「この人は、干そうとしている、悪意がある」
と言う点で相手と自分の認知、情報の秩序は保たれるからだ。
この病みの肝は、朗らかに人のためを思って、人の首を絞めているというところだろう。
人間はそういう状態に何ヶ月も身を置くと
「何が正しくて何が正しくないのか分からない、こんなことを思う私の方がおかしいのでは」
となってくる。
体験したことが無い人には、この不気味さは分かりにくいかもしれない。
ちなみに、私と同じように、この世界のおかしさに気づいている人もいる。
というか、そもそもこの問題は、大企業病といわれる組織不全(うちは中規模だか、守られた市場にいるなど極端に安定した会社は、規模に関わらず大企業病になるのだろう)により起きてるので、私の部署以外にも、なんなら社外の人を見ていても、私のような人はちらほら存在している。
全体の三割くらいだろうか。
そんだけぼんやりしてても食べて行ける会社すごい。
(これには一応カラクリがあるのだが。)
そういう人状況を十年近く過ごした人の末路は、だいたいこの三種類だ。
・蛭子さん
若い頃は従順で協調性もあり、いわれた仕事はそこそここなす悪い人ではなかったはずだが、人は人から何も言われなかったら限界まで怠惰になるものなので、その限界まで流されてしまった人達。
何も考えてないので、もはや無敵の人。
蛭子能収さんを思い浮かべるといいと思う。
・ヒステリーおじさん
とにかく周りを、攻撃する。もしくは、興奮気味に自己主張を繰り返す。
基本、真面目に仕事をしろ、という正論をぶつけてくるので周りも反論できない。
このタイプは、蛭子さんと違い、自分の仕事は正しいという正義と無駄な仕事をやりたくないという合理主義的精神を振りかざすため、協調性がなく、まわりから疎まれる。
「あの人悪い人じゃないけど……」と完全に「性格がクズ」というレッテルをはられながら生きる。
・企業のマシーン
精神と感情を完全に切り離し、矛盾企業のマシーンとして生きるようになった人。
ヒステリーおじさんよりも、人格的に優れていて「人前で切れるのはおかしい」という良心があるとこっちになる。
非常に有能な上司なことが多く、リーダーシップや矜恃もあるのだが、どこか目が死んでいる。
ひどいと三日目のアジの方がまだ生気がある。
既婚であり、おかしな世界でも家族のために生きると決めた人は、まだ心の支えがあるので、一昨日のアジくらいで済んでる。
日頃の態度は良心的なのに、笑顔が作り物ぽい。
結構、出世街道にいる人達の多くはこのタイプでは?
だが、何かあってそれに耐えられなくなると、仕事はドロップアウトして、趣味人になってしまう人もいる。
なんでこんなになっても辞めないんだと思うだろう。
なぜなら、待遇がいいからだと思う。
私も何度か転職しようとしたのだが、色々調べたり面接を受けても、今の会社より待遇、福利厚生、環境がいい所がなかったのだ。
あと家からもめちゃくちゃ近い。
こうなってしまうと、今よりいいのは、税金対策ができる自営業の不労所得生活しかないだろう。
特に私は、一度体を壊してるので、よしんば「同じくらいの給与で働けてキャリアを積める会社」があったとしても、また過労で体を痛めたら今度こそ人生詰む、という問題がある。
そう簡単に今の会社をでることも出来ない。
きっと、蛭子さん、ヒステリー、マシーンたちも、各々家族や本人の事情でやめられない事情の果てにおかしくなってしまったのだろう。
私は最近、デスクで、フランス貴族について考えることが増えた。
フランス貴族は、なぜ、自分の今の生活や地位が、多くの労働者の犠牲や、労働者からの搾取の上に成り立っているのに、普通の顔をしていられたのだろう。
そう思うのだ。
書いたように私は給与の割に全く働いてない。
じゃあどこからお金が来るのかと言えば、社内の色んな事業の利益に食べさせてもらっているからだ。
しかも、私の会社は、現場で働いている人が多く、そういう人たちは、社会的に大変意義のあり、肉体的にも精神的にも大変な仕事である。
にもかかわらず、給与は私の半分ほどしかないはずだ。
そこに負い目があるからこそ、
「このおかしさは何とかしなければならない、こういった人達の労働搾取の上で、のうのうと暮らすのはやはりおかしい。」
という感情になる。
それはフランス革命のなかで、貴族にもかかわらず、市民側について戦った人に近い感情ではないかと思う。
歴史を学ぶ中で、私はそういう素晴らしい人もいたのだな、と思っていた。
だが、今、似たような状況に身を置いて、別のことを思うようにもなった。
「きっと最初は、誰しも、この選民思想に支えられた貴族社会をおかしいと思ったのではないだろうか。そう思いつつ、自分の力ではどうにもできない無力感、苦痛が限界に達して、貴族社会を迎合し、バカになることでなんとか生きようとしたのだろう。
革命時、市民側に着いた貴族は、素晴らしい精神故にそれを選択したのでは無いのかもしれない。
その背景にあるのは、市民側に着く方が自分の利益が大きい状況にあったか、たまたま自分の頭がおかしくなる前に革命が起きただけ、という身も蓋もない結果論なのではなかろうか。」
選民思想を受け入れれば、私は明日から、この苦痛から少しは解放されるだろう。
そして、何も考えてない人たちの仲間入りを果たす。
「私が楽に生きられるのは、私がラッキーだったから。働かなくていいのは、そういう場所を与えられたから。」
そうやって毎日楽しく、貴族的に生きて行く。
いい案とは思えないが、今のところ、これくらいしか、精神を守る、現実的な案が思い浮かばない。
他にできることと言えば、今後どうなっても食べて行けるように、貯金と投資に励み、大好きな我が家に住み続けられるようローンをめちゃくちゃな勢いで繰り上げ返済しておくくらいだろうか。
誰しも、街の中で
「いいところに勤めてそうな、目の死んだ横柄で頭の悪そうなおっさん(あえておっさんと呼ぶ)」
を見たことがあるだろう。
それまで気にもとめなかった、そういう街の背景だった人を、最近、私は視線で追うようになった。
生存のために、人格を歪めるという犠牲を払った成れの果てが、あれなのではかろうか。
そして私の未来なのではなかろうか、と。
元々の人格によってバケモノになるのではないのだ。
環境によってバケモノが作られるのだ。
そしてバケモノたちは、過去に、こう囁く悪魔の取引に応じたのだろう。
「バカになって人格を売って、フランス貴族の仲間入りをしないかい?そうすれば君は割のいい、簡単でお金を多くもらえる仕事ができる。その仕事に就きたいだろう?」
この取引に応じてしまった人は、考えると多い気もする。
中年以降は体力が衰える分保守的になるので、無理もない。
しかし、人格を売るというのは、人生として考えると相当悲惨な事だ。
だから、金銭的に割がいいのだ。
世の中、どんな完璧な楽園に見えても、その分の対価は払うように出来てる。
どんな高給取りの仕事も、帳尻が合うようにできているのだ。
ーーーーーーーー
私のもやもやとした抽象的な話が、一体何の話なのか、コメントくださった方が完璧に解説してくださってるので、ぜひ合わせてお読みください。
ご本人様がコメント消すかもと仰ってるので、閲覧可能かは、その時によると思いますが…
私は、すごい長々書いてますけど、あまりに端的にまとめて下さっていて、そうそう、こういう話なんですよ!なんてわかりやすい!!と膝を叩いてしまいました。(叩いてる場合じゃない。)
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1 Comments
いつも興味深い記事ありがとうございます。
私もかなり似た状況にあり、大変共感しました。
私の部署は、実務は下請け的な別会社が行い、対応する法律の観点等から指導・管理するような立場です。
私は時々、私の会社が無い方が下請けの業務はスムーズに回るのではないかと思ってしまいます。
管理・指導と言えばキレイですが、下請けから出る革新的な発想を、保守的な考えから抑止したり、
自分の目標設定を達成するために、下請けを振り回している様に見える場面が多々あります。
それに気づいてから世の中の仕事を見回してみると、実益を生み出す仕事の給料は低く
実益を生み出さない仕事ほど給料が高いと感じるようになりました。
(余談ですが、呪術廻戦という漫画の七海というキャラクターが似たようなことを言っていて共感しました。)
どんな仕事でも考え様によっては害悪を生み出すような気もします。
(極端な例:頑張って会社の利益を上げて貢献したとしても、それによってライバル会社が潰れ、多くの路頭に迷う人を発生させる。)
結局自分の仕事は社会に貢献していると思っていても、それは思い上がりで、見方を変えれば他人の食い扶持を奪っているということな気がします。
そう思ってから、社会や会社のために頑張らなければという強迫観念からは逃れられた反面、ぼんやりできる仕事以外の、負荷の掛かる仕事に対し、辛い思いをしてまで取り組む気持ちは希薄になってしまいました。
消費を極限まで抑えたリタイアブログなどを見ると、私もそんな道に行きたくなることもありますが、いい意味でのバカになれない自分が抑止しています。
くだらない仕事をくだらなくないふりをしながら社会人を続けるのか、寿命が縮まってもやりたくないことはやらずに生きるのか、心理的負荷が軽減される仕事を探す現実的な道を目指すのか、頭の片隅で考え続けています。
今までの人生は 「なぜ辛いのかわからないが辛い。周りは楽しそうなのに辛い自分はおかしいのか。」→「辛いという感情は確かにある。周りは関係ない。」→「世の中の負の側面に気づき、辛い原因がわかった。しかし対処法がわからない。」こんなプロセスな気がします。
希望的な観測としては自分なりの対処法、考え方、抜け道などがそのうち浮かんでくればいいなと思ったりもします。見つからなければ世の中か自分がそれまでだったと言うことでしょうか。
一方で、他人から搾取することにためらいのない人間が成功者になれる事が真理なら、ある意味それが得だし正解の生き方なのかと思う部分もあります。例えば世の中で美人と言われている人の多くが、金持ちだが後に逮捕されたり、不倫が発覚する男性と結婚し、離婚するのを見ると、ダーティーな生き方が、実はこの社会の構造と良くマッチしているのかと思うことがあります。ですが自分の肌に合っていない生き方をすれば、結局どこかで心身に異常をきたしたり、転落することは容易に想像できます。そう考えると、損得を基準にして生きると自分を見失うんだろうなと気づきます。だから、搾取にためらいのない人間は、その生き方があっていて、それをできない人間は他の生き方を見つけるしか無いのだろうなと今は思っています。
搾取できないとはいっても、生きる以上少なからず他人の領地を奪っていると思うので、あからさまに搾取するのができないというのが正しいのかもしれませんが。
結論のない文章ですみません。私も同じ様な問題で心に葛藤を抱えているので、返信したくなりました。
お互い何か答えが見つかるといいですね。
コメントを消してしまうことがありすみません。
心配性で後から消したくなるときがあります。
宜しくお願い致します。
私もかなり似た状況にあり、大変共感しました。
私の部署は、実務は下請け的な別会社が行い、対応する法律の観点等から指導・管理するような立場です。
私は時々、私の会社が無い方が下請けの業務はスムーズに回るのではないかと思ってしまいます。
管理・指導と言えばキレイですが、下請けから出る革新的な発想を、保守的な考えから抑止したり、
自分の目標設定を達成するために、下請けを振り回している様に見える場面が多々あります。
それに気づいてから世の中の仕事を見回してみると、実益を生み出す仕事の給料は低く
実益を生み出さない仕事ほど給料が高いと感じるようになりました。
(余談ですが、呪術廻戦という漫画の七海というキャラクターが似たようなことを言っていて共感しました。)
どんな仕事でも考え様によっては害悪を生み出すような気もします。
(極端な例:頑張って会社の利益を上げて貢献したとしても、それによってライバル会社が潰れ、多くの路頭に迷う人を発生させる。)
結局自分の仕事は社会に貢献していると思っていても、それは思い上がりで、見方を変えれば他人の食い扶持を奪っているということな気がします。
そう思ってから、社会や会社のために頑張らなければという強迫観念からは逃れられた反面、ぼんやりできる仕事以外の、負荷の掛かる仕事に対し、辛い思いをしてまで取り組む気持ちは希薄になってしまいました。
消費を極限まで抑えたリタイアブログなどを見ると、私もそんな道に行きたくなることもありますが、いい意味でのバカになれない自分が抑止しています。
くだらない仕事をくだらなくないふりをしながら社会人を続けるのか、寿命が縮まってもやりたくないことはやらずに生きるのか、心理的負荷が軽減される仕事を探す現実的な道を目指すのか、頭の片隅で考え続けています。
今までの人生は 「なぜ辛いのかわからないが辛い。周りは楽しそうなのに辛い自分はおかしいのか。」→「辛いという感情は確かにある。周りは関係ない。」→「世の中の負の側面に気づき、辛い原因がわかった。しかし対処法がわからない。」こんなプロセスな気がします。
希望的な観測としては自分なりの対処法、考え方、抜け道などがそのうち浮かんでくればいいなと思ったりもします。見つからなければ世の中か自分がそれまでだったと言うことでしょうか。
一方で、他人から搾取することにためらいのない人間が成功者になれる事が真理なら、ある意味それが得だし正解の生き方なのかと思う部分もあります。例えば世の中で美人と言われている人の多くが、金持ちだが後に逮捕されたり、不倫が発覚する男性と結婚し、離婚するのを見ると、ダーティーな生き方が、実はこの社会の構造と良くマッチしているのかと思うことがあります。ですが自分の肌に合っていない生き方をすれば、結局どこかで心身に異常をきたしたり、転落することは容易に想像できます。そう考えると、損得を基準にして生きると自分を見失うんだろうなと気づきます。だから、搾取にためらいのない人間は、その生き方があっていて、それをできない人間は他の生き方を見つけるしか無いのだろうなと今は思っています。
搾取できないとはいっても、生きる以上少なからず他人の領地を奪っていると思うので、あからさまに搾取するのができないというのが正しいのかもしれませんが。
結論のない文章ですみません。私も同じ様な問題で心に葛藤を抱えているので、返信したくなりました。
お互い何か答えが見つかるといいですね。
コメントを消してしまうことがありすみません。
心配性で後から消したくなるときがあります。
宜しくお願い致します。