おばさんのヒヨコが知ったこと
大学生の頃から、私は電車の中である定点観測をしている。
それは自分が座った席の、正面の座席に腰掛けた人たちを見て、おおよそのイメージで
「自分はその中で何番目に若いか?」
数えるというもの。
電車の座席は基本8~10人がけだ。
だから、全員座っているときで自分がちょうど平均くらいの年齢に思えたら「年齢順で4-5番目」となる。
数えるのは決まって平日の昼間か行き帰り。
なぜこんなことをしだしたのかと言うと、単純に、自分がこの社会の年齢層でどれくらいの位置に居るのか、興味があったからだ。
子供の頃は20や25といえば、相当な大人というイメージがあったが、電車に乗っていると25なんてまだまだ子供で、
「じゃあ、世間の中で大人って何歳くらいなんだろう?」
「自分は今、どれくらいの立ち位置なんだろう?」
というのに興味があった。
20歳の頃は、社会の中では9-10番目、つまり1-2番目に若い層だった記憶がある。
自分は成人したオトナなのに、まだまだ社会では若い方なのだと新鮮な驚きがあった。
そして、この年齢はまだまだ社会ではマイノリティなのだとも感じた。
25~27歳くらいになれば、まずまず大人になるかと思いきや、それでもせいぜい、7-9番目がいい所。あまり変化がない。
この頃になると、「(男性が勝手に決めた)性的価値のみで最も価値が高い年齢=おばさんじゃない年齢」は、「社会の中では相当に若年層」を指しているのだなと妙な驚きがあった。
子供の頃は27と言えばおばさんと思っていたのに。
まだまだおばさんにならない現実に、一体いつこの集団の中の「5番目」になるのだろうとも思った。
32歳くらいになって、ようやく5-7番目位まできたなと感じた。
この頃は乗る電車の時間帯などで、順位がまちまちだったように思う。
この時に驚いたのは、上から数えて1-5番目の人達の構成だ。
1-3番目 50代以上
4番目 40代
5-7番目 30代
8番目以下 20代
と言った感じに見えることが多い。
労働者に占める50代以上の、ボリュームの大きさに驚くと共に、
氷河期を脱しても、氷河期世代は、未だに、電車に乗ってスーツで通勤するようなホワイトカラーフルタイム労働についている人が少ないのかもしれない、と感じた。
実際、会社に勤めてても「自分より5-10歳上」の社員というのをほとんど見ない。
35歳になった時、ついに私は、どんなタイミングでも「電車の乗客の中の上から数えた方が早い人」になった。
3番目の時もあるし5番目の時もある。けれど6番目以下になることは確実にない。
そして、女性に限れば、上から1-2番目なんだろうなと思うことが増えた。
相対的に見て、おばさんになってきたんだなぁと感じるようになった。
それから数年、私は自分のことを、本当におばさんだと感じるようになった。
これは、自分が若い頃、36歳くらいまではお姉さんの人も多いが、37~38歳となると、さすがにお世辞抜き込でもおばさんだなと思っていたこともおおきい。
そういう自分の価値観込で、名実ともに、「おばさん」になったことを感じた。
そして、おばさんのヒヨコになってから、全く見えなかった世界が見えるようになった。
そのひとつがこれだ。
自分がおばさんに差し掛かってきて分かったんだけど世の中には「若い女の子を搾取するおじさん」のほかに「攻撃しやすいおばさんを攻撃することで自尊心を満たそうとする仕事のできない若手男性」が一定数いることに気づいて会社行きたくないよォ…ママァ…ってなってる
— 広瀬 (@hiroro_ronron) December 11, 2021
※若手男性と書いたが、若手じゃなくてもそこそこいる。
今まで、あまり気にしてなかったが、自分事として体験してみてはじてて「彼らは確実におばさんを狙ってるんだな」と思うようになった。
そして、悲惨なのは、上司であってもおばさんは攻撃されるという所である。
おじさんは「権力」によってこういった男性から攻撃されないようになっているが、おばさんはなぜか「権力」が盾にならないのだ。
男性はだいたい「自分の仕事上の問題」を追求するためおばさんを攻撃するのだが、そういう人は、基本的におじさんにそれを言う時と、おばさんにそれを言うときで、態度が全然違う。
「そのおばさんは、お前の友達でもお母さんでもないんだが……それは家に帰ってやってくれんかね。」と思わされるような攻撃を度々見かける。
若い男性に限らず、職場で女性に、自分の感情の世話をさせたがる男性は多いが、これがまさにその顕著な例だろう。
しかも、始末の悪いことに、おばさんはなんやかんや優しいので、その攻撃を受けてしまう。
特に既婚子持ちだと「しょうがないわね」と自分の息子のようにあつかい、攻撃することを否定せず、許してしまうのだ。
また、仕事上の部下の問題であるから、その不満を受けなくては行けない。という真面目さも仇になる。
よくあんなこと言われてニコニコしてられるなと私は怯えるのだが、裏で話を聞くと、当然本人も快くは思ってない。
「まぁ彼はああいう性格だから……」「若いからね……」
といい、ストレスもその人なりに貯めているものの、仕方ないと思っているようだ。
余談だが、このパターンに限らず他人を攻撃する人間は、他人を攻撃したいけど、それを真正面からやったらバカがバレるから「仕事上の理由」というそれらしい理由を持ち出しているだけの話なので、本来は上司であっても受けては行けないと思う。
社内でもよく攻撃されている側が「でもあの人は仕事ができるから…」と庇うことがあるが、適切なコミュニケーションをとらず、人のモチベーションをさげて業務効率を落としている時点で、そもそもその人は仕事が出来ない人なのだ。
だから「仕事ができる人から攻撃されるけど我慢している」というのは矛盾している。
業務上の問題は、相手を尊重したコミュニケーション、対話でしか解決できない。ツールとして怒りを使うことはあれ、甘えや依存では解決できない。
にも関わらず、親でも友達でもない会社の人に「自分の感情の下の世話」をさせたがる人が世の中に多いせいで、まかり通ってしまってる一面がある。
また、弊社はこういうことをしがちな男性が多いのではと感じてもいる。
というのも、うちの会社のプロパーは高学歴が多いからだ。
日本の教育は、俯瞰的視野や、状況判断能力などの地頭の良さをあまり求めない。
言ってしまえば、あまり頭が良くない人間に、強烈な金銭投資と母親の献身というブーストをかけて、高学歴にすることも可能だ。
通常は、高学歴者であっても、学歴を身につける段階で、俯瞰的視野や状況判断能力も身につき、経験から「職場の女性に依存するのはヤバい」と普通の感覚を身につけるが、
こういう頭が良くない高学歴者は、経験から得た「女性(ママ)は、僕の感情の世話をするもの、女は献身するもの」という勘違いを自ら補正することが出来ないまま、大人になっているのではなかろうかと推測している。
さて、これにどう対抗するかだが、攻撃されるおばさんにならないためには、イカついおばさんになって、無駄な攻撃をしてくる人間を威圧するしかない。
結局、躾のなってない犬が噛み付いてくる、という話なので、権力が役に立たないなら、個人として「こいつは噛んだら面倒そうだ」というオーラを出すしかない。
私はこっちのルートで身を守ろうとしているのだが、このルートに入ると「めちゃくちゃ吠えてくるおばさん」「やたら偉そうなおばさん」「御局様」に近づいていくので、これもこれでなかなか難しい。
すごい葛藤しながら威圧している。
オデヲ……コロシテ……ココロ……マダ…アルウチニ……と毎日思わずにはいられない。
と、同時に、政治家などでは、こうなってしまったおばさんをよく見かけるが、「なぜそうなったか?」わかるような気がして動揺した。
それまでは、頭がおかしいかホルモンが安定してない人なんだろうくらいに思っていたが、
「攻撃されて心が弱っていくおばさん」になるか「よく吠えるブルドックみたいなおばさん」になるか迫られたら、後者を選ぶのも無理はない。
企業という名の男性社会で、心が死ぬか、化け物になるかの世紀末覇王伝説を迫られる存在、それが組織のおばさんなのかもしれない。
ちなみに、「攻撃しやすいおばさんを攻撃することで自尊心を満たそうとする男性」は、自分が逆らったら不利になる権力のあるおじさん、自分にメリットのある若い女性以外はターゲットにしていいと思ってるので、権力のないおじさんも攻撃対象になる。
権力のないおじさんは、仕事が出来ないおじさんと言うより、フリーのデザイナーをやりつつ会社に勤めているだったり、元々資産家で社会的対面として会社に来てるような、出世してまで頑張らなくていい人なんかが多い。
話を聞くと、こちらも、そこそこキレてるが
「まぁ、彼は若いからね……」
と呑気なことを言っていて毎回驚かされる。
懐が深すぎる。
(仕事のできないおじさんは逆に彼らのようなタイプには攻撃されない。なぜなのか不思議ではある。仕事が出来ない仲間がいた方が安心できるからなのだろうか……)
この「権力があっても、おばさんは組織で頭のおかしい人に攻撃されてしまう問題」は、まだ世間ではそこまで表面化していないような気がする。
そのため、この話を眉唾に思う人も多いだろう。
なぜかといえば、男性社会の企業で、女性で管理職になる人が圧倒的に少ないためだ。
例えば、保育園に入れない問題などひとつとっても、ああいう問題が表面化出来るのは共感が多い=多くの人が類似の体験をしているからだろう。
そういう意味で、まだまだ男性社会の企業で管理職になっている女性は少なく、SNSで共感を集めるほどのボリュームにはなっていないのではなかろうか。
またおばさん本人もこういったトラブルを客観的に知る機会が無いため「個人の性格の問題」として飲み込もうとしているように思う。
この問題が表面化するのは10年後位かもしれない。
くわえるなら、きっと他にもまだ知らない、おばさんの内情があるのだろう。
そう言う意味で、わたしはこれから先、おばさんのヒヨコとして、若い頃、自分ですら見逃していた、おばさんの予想だにしない境遇に直面するはずだ。
そのたびに「こういう事だったのか」と、池上彰の番組に登場する雛壇芸能人ばりに驚くのだろう。
こういう状況をみて、ますます管理職にはならない方が身のためだなと心に誓ったのだが、
こうして考えると、職場では知らない若い子やおばさんに精神的に依存し、家庭では奥さんに家庭労働肉体的に依存に徹しながら
「女の人は管理職になりたくないって言うから」
と言い退ける社会というのはなかなかグロテスクである。
しかし、これが日本の現在地なのだろう。
他者に依存していることに気付かないふりをし続ければ、依存してないことになるのである。
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