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honjitu no hirose

広瀬ヒロ

虚空に向かい思考を吐露して17年。 伴侶は孤独、幼なじみは希死念慮、命を支える偉大な信仰、降谷零。 自己葛藤から抜け出せない永遠のモラトリアム中年。引き続き、七転八倒をお楽しみください。

オタクは、破滅に向かうとき、最も光輝く。


その日、私はいつも通りぼんやりと横になっていた。

別に病気などではない。

平日は、資本主義社会の豚として、資本家の富をかき集める歯車になり、ブヒブヒ駆けずり回っているのだ。

たまの休日くらい、何も生産せず無益に時間を浪費する豚になりたくなるのも当然だろう。

家族のために献身的に滅私奉公し尽くす母親が、ある日突然、思い出したように「女としてみられたい」とホスト通いにはまってしまうのと同じだ。

人生、そうやって誰しも帳尻をとっているのである。


すると、ソファに横たわった小汚い豚に、TVが語り掛けてきた。

「令和三年度天皇杯 男子バレー全日本選手権大会、決勝戦の模様をお伝えします」

何やらつけっぱなしにしていたTVで、バレーの試合が始まったのだ。

私はスポーツに全く興味がないどころか、中高と「体育会系の人間は、態度がでかく無神経でいじめ体質の人間が多すぎ」という田舎の共学校特有の掃きだめのような現実を見て青春期を過ごしてきたため、スポーツ全般に対してあまりいいイメージがない。

なので、この時も、いつも通りテレビを消そうとしたのだが。

その日は、ある変化があった。


……わかる。


ラピュタで目をかっぴらきながら、「わかる…!わかるぞ!」と興奮していたあの時のムスカくらいわかった。

バレーボールに全く興味も関心もないのに、なぜかバレーボールのルールも知ってる。
攻撃や防御の手法、試合の情勢まで、手に取るようにわかるのだ。

休日は一日23時間近く横になったままだが、あまりの驚きに、思わず、縦になってテレビに向き直った。

縦置きでも横置きでも、相変わらず試合の内容は分かる。すばらしい、なぜだ。


……これ、ハイキューで見たやつだ!!


実は去年の暮れ、会社の人から、ハイキューのコミックスと、同人誌一式を受け取った。
これは、説明するなら、堅気の人間が絶対に手を出してはいけない、心身の健康を害する薬物であり、その結果あっという間にハイキューの沼に転げ落ちた。

その結果、知らないうちにバレーのルールが完璧に理解でにるようになっていたようなのだ。
しかも、試合初見にもかかわらず、注目するポイントや感想が解説者とほとんど同じという、チートぶり。

ジャンプの漫画といえば、テニスをすればボールで壁が大破し選手が複雑骨折になり、囲碁をすれば背後の幽霊が勝ち筋を案内するという、絶対に現実ではありえない展開がお決まり。
てっきりハイキューも現実ではありえない技を見せられているのだと思って読んでいたのだが、全くそうではなかったようなのだ。


こうなってしまうと恐ろしい。

まるで三歳児が、一体何の差があるのかわからない電車の種類を指をさして得意げに、言い当てるように、

「いい三枚だ~」

「クイックがうまい」

「素晴らしいツー(拍手)」

など、テレビに向かって話しかけ続けた。

なによりも、生まれて初めてバレーの試合を見た人間さえも惹き込む、いい内容の試合であったことが大きい。ベテラン選手も多い強豪チームに対して、若手中心にまとめた勢いのあるチームが勝つという展開自体が熱かった。

試合中、表情筋がないのかという程、得点を決めても、にこりともしない選手が、優勝した瞬間、うれしさのあまり嗚咽するように倒れこみ、血圧上がりすぎて鼻血を出していたのも印象的だった。 (よくあることらしく、その選手は普通に鼻にティッシュを詰めて、コートをうろうろしていた。後日、このことをSNSで『こんな時まで鼻血でて、締まらなくてかっこ悪い』と振り返っていたが、何言ってんだ!そこがいいんだろうが!!とちゃぶ台を叩いた。)

キャラクター性のよさは大事である。

終盤になる頃には、近所のおばさんのような気持ちになり、表彰の時には

「選手の皆さんの親御さん、本当にこんな息子さんを立派に育てて頂いて、ありがとうございました。」

そう、知らない数多のご両親に手を合わせた。

こうして、私の天皇杯決勝は終了した。


この終わり方に、私は嫌な予感がした。

オタクならわかると思うが、これは険しい山で「滑落注意」と書かれた看板の前になっている状態だ。

何がなんでもここで滑落する訳にはいかないのである。

何故かと言うと、2022年は、日々信仰する安室透さんの映画出演の年なのである。 映画やグッズ、イベントなど相当な額の出費に備え私は一年前からコツコツと「安室透さん2022年映画主演支援積立」をしてきたのだが、映画公開前にも関わらず、その積立がすでに3割近く崩されてしまっていたからだ。
余計な出費で、これ以上、安室透さん積立に手をつける訳には行かない。

しかし、人間とは愚かな者もの。
崖の下がどうなっているのか一瞬だけ覗きたいというのが人間の心理である。

私は、三回ほど『滑落注意』の看板の前をうろうろしてから、落ちないよう、細心の注意を払い、崖の下を一瞬だけ覗き込んだ。

薄眼で、チームや選手の情報を確認した。

そして、行く気はないけどと思いながら、一応、東京での試合の日程と、試合会場までの交通経路を調べた。

指が滑って、公式アカウントをフォローした。

……そうだな。やっていいのは、無料の行為だけということにしよう。そうしよう。
言ってまだテレビで試合1回てSNS見ただけじゃん。セーフセーフ。

そう言う人なんて何万人もいるわけですから。


そうして、年が明けた2022年1月5日。

私はなぜか、春高バレーを家で見ていた。

春高の試合は、平日。もちろん仕事と重なっている。

とはいえ、1回戦、2回戦(水曜、木曜)はもともと在宅勤務の予定だったので、仕事の合間に軽く見るか、くらいの感覚だった。

そういう予定だったのだが。



このザマである。

正直に言うと、二日目の試合結果を見て、

「これは明日会社行ってる場合じゃないな~。明日は雪の影響で交通機関も混乱するしなァ~!!春高とか全く関係ないけどなァ。」

と3回戦(金曜日)の在宅勤務申請を出した。

ただ、結果的にはよかった。

東福岡vs習志野の試合は、解説すら「面白い」しか言わなくなるほど、素晴らしい試合で、(ネットのご意見を見ていても)手に汗握り大興奮したり、涙する観客続出の情緒不安定オタク量産試合だったからだ。

良い試合というのは、良い選手、良いチームがいるだけでは成り立たない。

それぞれのチームの意地と想い、仲間と過ごした高校生活のすべてがぶつかり合うとき、彼らは、コートの上で目が潰れるような閃光を放つのだ。

本当に、試合のカードが良すぎたのだ……。



人生というのは、予想がつかない。

お、ここに崖があるな、やばいな、そう気づいた瞬間には、奈落の底まで真っ逆さまである。

沼なんて優しいものではない。

滑落した瞬間には、崖の下。真っ暗闇の中で目を覚まし、ハッとする。

それが命(財布)の終わりであり、新しい人生の始まりなのだ。

オタクの人生は、全く油断ならない。

2022年、私の目標は

「バレーボール選手個人を絶対に推さない(ナマモノはダメ)。遠征は名古屋まで。」

これである。

最初は、遠征はしないという目標を立てたが、すでに弱気になって名古屋までは行っていいことにした。

しかも、まだ新年あけて一週間なのに、この目標を何度も肝に銘じている。

そうでもしないと、試合のチケットサイトを見ている瞬間、安い航空券やホテルを見つけた瞬間、「よし、ポチるか!!」というヤバい衝動が弾幕ゲーのように襲ってくるからだ。

早々に不安しかない。

毎日のように、頭の中のオタクの擬人化、ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが

「推すな、推すな!!」

と、叫んでる。


しかし、頭の中のオタ島竜兵さんは、そう怒号を上げながら、必死に抵抗しつつも、はじけんばかりの笑顔を振りまいている。

オタクは、破滅に向かうとき、最も光輝く生き物である。



バボちゃん、ガリバー旅行記で捕縛されたガリバーみたいだ…



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