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honjitu no hirose

広瀬ヒロ

虚空に向かい思考を吐露して17年。 伴侶は孤独、幼なじみは希死念慮、命を支える偉大な信仰、降谷零。 自己葛藤から抜け出せない永遠のモラトリアム中年。引き続き、七転八倒をお楽しみください。

神様が勝手に決めた才能を探す旅。


最近、仕事をしながらできる、モノを作る活動をなにかしたいなぁ、と考えていた。

何故かと言うと、仕事ではモノを作ろうにも、関係者が多い案件が振られることが多くなり、自分のいいと思う企画が進まない、モノを作るスピードが極端に遅いといった場面が増え、モノを作る楽しさよりも、精神的苦痛を感じることのほうが増えてきたからだ。

なので、なにか別の所で「モノを作る」活動をしよう。

と思いたって、(この間には色々経緯があったのだが)小説でも書いてみようかと思い立った。

だが。
真面目にやってみると、これがまた、全くもって出来ないのである。
笑えるほどできない。
一次創作、二次創作関わらず、出来たものが強烈につまらないのだ。

やむなく、小説やシナリオのプロットの作法の本などを読み込み、映画を見まくり、(小説家や漫画家の定番学習法)既存の漫画やシナリオがどう言った構成になっているか研究したが、もうこの時点であまり才能がない人のルートだな、と薄々思った。

というのも、小説や芝居への関心がないので、技法がわかり、テーマや話の構成は考えられても「書く気にならない」のだ。
言ってしまえば、小説やシナリオを書くより、寝てる方が楽しいし、散歩してる方が楽しい。
漫画家志望なのに漫画を一回も書いたことがない人は多いらしいが、こういうことなのだろう。
そこまで好きじゃないのだ。
本当に好きだったら、書かずに居られないのだから。


ちなみに私はブログの1記事を2時間程度で書き上げるのだが、基本、書いている最中の記憶が無い。
漠然とした印象的な出来事やテーマだけが頭にふわふわとあり、そこから書き始めるとトランス状態になり、ハッとすると勝手に文章が出来上がっている。

小説作りとはえらい違いである。

そもそも、普通の人は、20年近く、誰にも頼まれず2000~3000字の日記を月に何本も書き続けない。
上手い下手は別にしても、これはひとつの才能といえるだろう。


私は日記やエッセイを書く才能はあるが、小説を書く才能は全くないのである。

このことを、しばらくしてから興味深く感じた。


人は、「夢を叶える」ことについて、誰にも平等に与えられている権利のように説くことが多い。
小説家になりたい人の「どうやったらなれますか?何が悪いのですか?」という問いに「やり続けましょう」と答えるプロの意見を何回も見た。
それがやり続ければ叶うことのように。

だが、これらの経緯を通して、才能の開花には
「才能(能力)」
「好きかどうか」
「自分がそれを目指せる状況にあるか」
「目指したいと思うか」
が絡んでいることをひしひしと感じた。

例えば、
文章を書く才能があっても、小説や芝居が好きでなければ何も思い浮かばない。
小説や芝居が好きであっても、文章を書く才能がなかったら、書き上げることが出来ない。
才能と好きが揃っても、その夢の内容によっては、将来的にその仕事で食べ続けるリスクが高く、それ以外の堅実な道を選ぶ人もいるだろう。
(漫画家や声優に実家が太い人が多い理由は、まさにこれだろう。)
そして、偉大な小説家の才能があり、小説が好きで、実家が太く好きなことに打ち込める土壌があっても、「どうしてもV系バンドのギタリストで食べていきたい。小説家よりかっこいいから。」となってしまえば、その才能は花開かない。

でも、世の中にはこんなことが星の数ほど転がってるのだろう。


こう考えると、本当は、何の仕事で食べて行けるようになるかについて、本人に選択の余地はないのではなかろうか。

才能で食べてる人は、それが自らの夢であり、自ら掴み取ったように話すが、「夢を目指した」というよりも「掴める夢をつかんだ」の方が正しいのではなかろうか。

逆を言えば、自分には全く才能がないと思ってる人も、どこかひとつズレてるだけで、もう少しで大きな才能が開花する状況にいる、という場合もあるだろう。

ハリーポッター著者のローリング・ストーンは、離婚で貧困においちいり、食べるに困ってカフェで書いた本がハリーポッターらしい。
離婚せず「何としても小説家として一発当てざるを得ない」という危機的状況に追い込まれなかったら、ハリポタは生まれなかっただろう。





実はこの「才能探しの旅」は過去何回か、数年おきにやっているのだが、この時、才能を探せるかよりも、むしろ、数々の「潰れた夢」の方が大事だと思っている。
というのも 、あれもダメ、これもダメ、とやり続けると、段々背水の陣になってきて「この夢を選ばざるを得ない。まかり間違っても最高の選択とは言えないが、この夢が今までの中では一番スジがありまともだ」と覚悟を決めて、それに打ち込もうと思う瞬間があるのだ。

言ってしまえば、結婚相手を探す男性が色んな女性を取っかえ引っ変えした挙句、幼なじみに落ち着くみたいな話である。

過去、こんな顛末で見つけた夢というのが、仕事、ブログやエッセイだった。
(今は稼ぎは関係なく好き勝手やっているが、昔はブログやエッセイだけで食べている位、文章を書いていた時期がある。)

ただ、一度叶えてしまった夢というのは、もう昔と同じように夢中になって頑張れない。


真剣に、一場面一瞬たりとも見逃さず、心からわくわくしながら夢中になって見た御伽噺を、「めでたしめでたし」したあと、もう一度クライマックスから見ても、一度目の新鮮な感動と興奮は得られない。むしろ、無理して見続けても苦痛である。
何十回見ても新鮮な感動と興奮が楽しめるのは、この世界でただ1つ「名探偵コナン ゼロの執行人(DVD&Blu-ray好評発売中)」だけだ。

分かりきったことだが、人間の人生は、安室透さんよりも面白くないのである。仕方の無いことだ。

だからまたこうして、心湧く目新し何かを、ぼちぼちと致し方なく探している今日この頃なのである。
ただ残念ながら、今回のこの覚束無い旅に、まだ当面、答えは出そうにない。


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