fc2ブログ

honjitu no hirose

広瀬ヒロ

虚空に向かい思考を吐露して17年。 伴侶は孤独、幼なじみは希死念慮、命を支える偉大な信仰、降谷零。 自己葛藤から抜け出せない永遠のモラトリアム中年。引き続き、七転八倒をお楽しみください。

大往生



とても不幸なことが起きた時。
人は、「なんて不幸なことが起きたんだ」って嘆きますよね。
なんてアンラッキーで、嫌なことになってしまったんだと。
飛んだハズレくじをひいてしまったと。

けれど、誰も「ほかのクジの中身」は知りません。
他のくじを知らないのに、いつも私たちは、自分のくじを嘆いてる。
不思議な生き物です。


例えば、交通事故で骨折したとしましょう。
車が飛び出してきて、咄嗟に受身を取ったけど、骨折全治三ヶ月。
最悪です。
怪我をしない方が良かったとおもうでしょう。
でも、その場面で起きうる全ての可能性の中で「骨折がいちばん軽傷だった可能性」は考えません。
ほかのクジは誰にも見えないから、起きた骨折が最も不幸で、最悪のクジだと思い込んでしまいます。


もしかしたら、その場面のくじは、
99%が「死亡」で、1%が「全治三ヶ月」だったかもしれない。
最高にラッキーなくじが「全治三ヶ月」
そういうこともあるはずなのに。

そういう無限の選択のなかを、
なんとか毎日、取り返しつかない、決定的なハズレを引かずに、生きてるだけなのかもしれないのに。


悪いことが起きる度、
悪いことのさなか、命長らえる度、
今日私が引いたクジは、上から何番目のクジだったのかな。


そんなことを思いながら、
ブログを辞めたあの日から1年が経ちました。




今ふりかえって思うのは、
人の死というものは、外から見える姿とは全く違うのだということ。

世の中、重い病は不幸だ、介護は嫌だとか言うけれど、家族は生きてくれていたらなんだっていいという瞬間があるのです。
本人はもうどうしょうもなく大変だとは思いますが、でも、周りはその人がいてくれる、ただそれだけで救われる。
そういう境地が、世の中にはあります。


親の一件があって、親しい人に何度か
「もし意識なくても、生きててくれるだけでありがたいよね」
と言われたことがあります。
普通だったらとんでもない発言ですが、私は内心そう思ってたので、人がその心情をわかってくれたことが有難かったです。

しかし、そういう人は、確実に、ある日突然、家族を失った経験を持つ人でした。
意識がなくても生きてて欲しかった、心からそう思ったことのある人たちでした。

「世の中、ぽっくり行くのが幸せなんて言うし、誰しもそれがいいと言うけれど、人は突然人を失うとね、心の中にこんなにも黒く大きな伽藍堂が出来てしまうこともあるんだよ。」

あの日、そう言って、何十年も前にできた、未だ痛みを伴うその伽藍堂を、私を励ますためにそっと見せてくれた彼彼女らの深い慈悲を、私は今でも今日のことのように思い出します。



様々な終わりの話を聞く中で感じたのは、故人は、最後の瞬間、残された人が極力困らないように計らい、明日を生きていく力を確かに授けているのだということです。

突然の別れを通して、残された家族に、慈悲深く思慮深い、稀有な人柄を授けて亡くなった故人
大きな金銭を残すことで、残された家族の生活が疲弊しないよう計らって亡くなった故人
長年の介護の果てに、残された家族がむしろ亡くなってほっとする位、心配や悲しみを与えずに亡くなった故人
不治の病の果てに、家族に最後の別れの時間と覚悟を用意して亡くなった故人
何年も意識がなくても、生きていてくれるだけでありがたいのだと周りに気づかせて亡くなる故人

人は死を選べません。
けれど、故人は、自分の命を通して、周りが生きるために一番必要なものを遺して去っていくのだなと思います。
そして、故人が、突然の別れの過酷さや、病の痛みのなかで何とか遺した最期の計らいによって、周りの人は、その後の日々を生かされてゆくのでしょう。


そう考えていくと、自分の命は、自分の命のようで、
最後まで自分の命ではないのかもしれません。

最後は自分の命を、自分が安らかに終わるためではなく、
周りがその後を生きていけるように費やす。
残された周囲が、難しいなりにでも、なんとか残された日々を生活できるよう、一生懸命、種を撒いてその生を最後まで使い尽くす。

それが、人生というものなのでしょうか。

そして、もしそういう終わりを迎えられたのなら、
たとえ早世であっても、病が長くても、寝たきりでも、痴呆でも、何年も意識がなくても、ある日突然のことでも、
その人は、その人の偉大な人生の最後の大仕事を、全力でなし終えたと言えるのではないでしょうか。

その終焉を、大往生といわず、なんというのでしょうか。



ーーーー


この文章は、2022年の8月頃に書いたものです。
おそらく1年経たないうちに、これを自分の区切りとして投稿せざるを得ない日が来るだろうと思っていましたが、未だにその日は来ていません。
なので、1年経った区切りとして投稿しようと思いました。

これを書いた当時、もしかしたら、1年経っても投稿しないこともあるのかなと夢のように思いましたが、まさか本当にその日が来るとは思いませんでした。
(1年存命の確率は論文などで見てもかなり低く、ご家族のブログでも最長9ヶ月くらいがいい所だったので)


もうあの日から一年以上経ったのか、と気づいた時、あの時様々に私の精神を支えてくれた人達の力がどれだけ私を救ってくれたかを、改めて痛感しました。

コメントで励ましてくださった方、親御さんのお話を聞かせてくださった方、本当にありがとうございました。
ずっと励まされ続けて、今日があります。

また、日常で思うことあれば、普通の日記として普通の話も書けたらなと思います。
書けるかどうかは分かりませんが。




以前のブログに書いた言葉を引用して、荒れた海に投げ出されても、またいつか浅瀬に戻って来れますよとコメントくださった方に対して
「さすがにそれは無い、ここまで荒れた海を見てしまったら100%難しい。」
と内心思っていました。

でも、その通りですね。
浅瀬に戻れはしなくとも、浅瀬が遠くに見える位の所には、戻ってこれるものだなと思います。
あんなとんでもない大海に投げ出されたというのに。

小さな救いを人生の中に感じました。



← 生きることへの抵抗力 社会ってそういうものよ →

Leave a reply






管理者にだけ表示を許可する