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honjitu no hirose

広瀬ヒロ

虚空に向かい思考を吐露して17年。 伴侶は孤独、幼なじみは希死念慮、命を支える偉大な信仰、降谷零。 自己葛藤から抜け出せない永遠のモラトリアム中年。引き続き、七転八倒をお楽しみください。

社会ってそういうものよ


詳細は避けるが、最近、一家離散リーチになった。
最後の日記から、なにがどうなって?!と思うだろうが、
風が吹いただけで桶屋が儲かるのがこの世の中なのだ。
別に不思議でもない。
とはいっても、 さすがの私も相当に参り、また決断を誤ると取り返しのつかないことでもあるので、事前に何人かに、このことを相談した。

まずはじめにその相談相手の話をしたい。

イカれたメンバーを紹介するぜ
会ったことないけど、毎回エスパー並みの洞察力で私のメンタルを過去何回も救ってくれたフォロワー

お次におなじみ
付き合い20年、腐れ縁 大学の友人

毎回こいつには頭が上がらない
人生経験豊富なユーザーが的確なアドバイスくれる、知恵袋サービス

そして最後は、俺たちの超大型ルーキー
chatGPT

以上だ!!


という訳で、公平を期すために、メンバーにはほぼ同じ話をしたのだが、ビビったのが、メンバー全員、ほぼ同じ回答を出してきた。
特にchatGPTの回答精度の高さがすごい。
人間の複雑な人生相談にも回答できる知能こわい

そんなイカれたメンバーの意見は、まさかの満場一致
本当に意外だった。

フォロワーさんと腐れ縁については、さらに具体的に突っ込んだアドバイスをしてくれたのだが、
それぞれ、そう思った経緯は違うものの
「Aのことはこの部分がおかしいような、なんか理由がありそう」
「Bは相談通りでの判断でもやむなし」
と全く同じ問題の分解のされ方をされて震えた。

今の状態は私が思う以上にヤバいのだろう。
ただ、全員が導き出した結論はなかなかハードな選択なので、度肝抜かれた困惑が半分、やっぱりそうなりますよねぇ…が半分、というのが正直なところだ。





こんかいのこともそうだが。
私がもうダメだと思う時、救世主のように助けてくれる人が現れる。
しかも、私からの情報はすごく限られているはずなのに、的確で心のあるアドバイスをくれ、会ったこともないのに、私の心を落ち着かせ、適切な方向へ導いてくれる。

なぜこんなにも良い人が、何もしてないのに良くしてくれるのだろう。
私は毎回不思議な気持ちになる。
もし仮に私が相手になにかしていたのだとしても、彼女たちが与えてくれる励ましは到底割に合わない。

だからこそ、私はその人が困った時には助けたいし、その出番があればいいなとも思っている。
いざというときは、率先して名乗りを上げたい。

そんな日が来るのだろうか?

そんな時、毎回、昔読んだ2chのスレの話を思い出す。

若い男性が旅行先でお金をなくし、クレカも持たず電子マネーも無い時代、駅のホームで途方に暮れたことがあったそうだ。
その時、駅で見知らぬ御夫人に声をかけられた。
その人に事情を話すと、わかったわ、といい、少なくないお金を渡してくれたそうなのだ。
彼は、こんな額のお金は受け取れない、と言うが、御夫人はいいのよ、気にしないでと告げてそのまま去ろうとする。
それなら必ず返すから連絡先を教えて欲しいと、彼は御夫人を引き止める。
それを見兼ねて、御夫人はこう返したそうだ。

「もしあなたが、今のあなたのように困った人を見かけたら、その人にお金を渡してちょうだい。私に返す代わりにね。」

え、と驚く彼に、御夫人はこう続けたそうだ。

「いいのよ、あなた。社会ってね、そういうものよ。」




私を助けてくれた人のピンチに、私にできることがあるなら、それは買ってでたい。

でも、それに加えてもうひとつ。
人の力になれるのではと思った時に、躊躇無く手をさしのべられるように生きていくことも、大事なのだろう。

追い詰められた私の元へ救世主のごとく現れてくれた人たちがいたように、不思議な見えざる手によって、私もある日唐突に、救世主としての役目を担うかもしれない。

その時に、今日助けてもらった思いを精一杯、別の誰かに伝えていく。

そうしてわたしが助けた誰かが別の誰かを助け、また誰かを助け、その人が、私を救ってくれた人が困った時に力になってくれるかもしれない。

少なくとも、私を助けてくれた人は、私の悩みをすんなり解決出来る=私より高次元の問題を抱えるはずだから、私など力になりたくても全く歯が立たない可能性もある。

そんな時は、私は私の得意な範囲で、誰かの力になれれば良いのではなかろうか。
社会ってそういうものなのだろう。


ちなみに私が、ブログを約一年ぶりに書いた理由は、助けてくれた人たちがブログを読んでいて、また読みたいと言ってくれていたからだ。
今の私が誰かに対して返せるものが、差し当たってこれしか思い浮かばなかったからだ。

でも私は、その人のおかげで、もう長文は絶対書けないだろうと思ったのに、文章をまた書こうと思えた。

本当にありがたいことだと思う。






1年前、私のブログに、親御さんが亡くなった話を聞いてくださった方のことを書いてくださった方がいたが、私はそのコメントを書いてもらってから今日まで、そのことに本当に支えられてきた。

今もお元気でいらっしゃるだろうか。
今もあなたに助けられてますとお伝えしたい。

私とその人はあったことも無い、通りすがりの方で、コメントはその時限りだが、私はその方のコメントを思い出すことで何回も何回も救われてきた。

人の岐路を支える出会いというのは、きっと過ごした時間の長さでは無いのだろう。

互いが長く過ごすことでほのかに灯される縁もあれば、
重要な一瞬、閃光のように道を照らし、自分の人生を変えて過ぎ去る縁もある。

どんなにその縁を大事に思っても、自分の手では繋ぎ止められないことが惜しいが、
心の中でその縁があった事を、尊んで大事にしながら生きていくことが、
人生というものなのだろうかと、今は思う。




人生の深淵 →

1 Comments

みり says...""
一年ちょっと前、母のガンが発覚して介護生活となり、一つ前の広瀬さんの記事がとても他人事とは思えませんでした。
つい先週、その母が亡くなりました。
覚悟はしていましたが、どうしようもなく辛くて、やるせなくて。また広瀬さんの記事のことを思い出してやってきました。
内容を読んで泣いて、それからおっしゃられていたコメントを読んでさらに泣きました。
まさしく、広瀬さんの文章で、広瀬さんが作り上げたこの場所のおかげで、救われた(より正確に言うと、これから何度も絶望の淵にたたされたときに救われ続ける、という感じでしょうか)一人の人間としてお礼を言わせてください。
私だけではなく、きっとこれからもたくさんの人が、同じ経験をされるように思います。
更新してくださってありがとうございます。広瀬さんにも、コメント主さんにも、心から感謝しています。
今、広瀬さんを取り巻く状況になにも力になれないのが心苦しいですが……私も、お二人から得た助けをきっと誰かに繋いでいきます。
2023.06.02 00:05 | URL | #- [edit]

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